北野武
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金獅子賞
1997年HANA-BI
銀獅子賞(監督賞)
2003年座頭市
監督・ばんざい!賞
2007年監督・ばんざい!
東京国際映画祭
特別賞
2014年 世界の映画界への長年に渡る貢献に対して
ヨーロッパ映画賞
非ヨーロッパ映画賞
1997年『HANA-BI』
日本アカデミー賞
最優秀編集賞
2004年『座頭市』
ブルーリボン賞
監督賞
1991年『あの夏、いちばん静かな海。』
1996年『キッズ・リターン
1998年『HANA-BI』
主演男優賞
1998年『HANA-BI』
助演男優賞
1985年『夜叉
その他の賞
芸術選奨文部科学大臣賞
1998年『HANA-BI』アジア・フィルム・アワード
監督賞
2012年アウトレイジ ビヨンド

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サイン

ビートたけし(1947年昭和22年〉1月18日[2] - )は、日本お笑いタレント俳優映画脚本家監督。本名は北野 武(きたの たけし)。

1980年代初頭に起こった漫才ブームで、漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画テレビドラマにも出演し、1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動している。1989年の『その男、凶暴につき』で映画脚本家・監督デビューし、『ソナチネ』(1993年)では世界的に高い評価を得た。1997年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。2010年にフランス芸術文化勲章コマンドゥール、2016年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエ、2018年に旭日小綬章を受章。
概要

東京都足立区島根出身。東京都立足立高等学校を卒業し、明治大学工学部(現理工学部機械工学科を除籍(のちに特別卒業認定[3])。東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)。

明石家さんまタモリと共に、日本の「お笑いBIG3」として知られる[4]

映画監督時や『平成教育委員会』などの番組では本名の「北野武」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは「ビートたけし」の芸名でタレント活動している。これに関しては、2010年5月9日放送の『平成教育委員会』にて、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano』であるが、『Beat Takeshi Kitano』という、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。また、絵画では「ビートたけし・北野武」名義を使用する。

落語立川流Bコースの一員で、高座名は「立川錦之助」[注 4]。近年は落語を口演する際、立川談春から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。
来歴
生い立ち

塗装職人の父・北野菊次郎(1899年[注 5] - 1979年)と、母・北野さき(1904年[注 6] - 1999年)の四男として生まれる(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武」と命名された。

平凡パンチ』1978年11月13日号のインタビュー記事では「浅草に生まれて、下町に育った」と語っており、1982年「週刊サンケイ」の小林信彦との対談でも「生まれたのは浅草(台東区)で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している[6]

色白で細面、小柄であるが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の北野うしに非常に可愛がられて育った(家族構成は、「親族」節を参照)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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