北部九州
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大内氏山口を本拠地として、周防国から豊前筑前までを統治下に置いた。
戦国時代から江戸時代まで

長崎平戸府内大分市)をはじめとして、南蛮貿易キリスト教布教の地盤となった。又、商人自治都市が造られるようになり、その中で博多は商人町となって九州の要衝となり、バテレン追放令の舞台ともなった。
江戸時代

鎖国体制下で、長崎が本土では唯一[注釈 5] の貿易港として盛えた。主な天領としては、黒田氏福岡藩小笠原氏小倉藩鍋島氏佐賀藩細川氏熊本藩日田天領などが置かれた。
明治時代 以後

明治時代になると、北部九州や山陽地方経済軍事の要衝となった。特に北九州筑豊一帯には、筑豊炭田八幡製鉄所などが立地し製工業の中心地ともなった。また、有明海沿岸の三池炭鉱なども隆盛を極めた。この時代は、高度経済成長期まで続いた。
自然地理
気候

全体を通して見ると温暖・夏雨・(太平洋側としては)冬季寡照(かしょう)の気候である。年間降水量の3分の1が梅雨の期間に集中し、また西側に陸地がなく暖湿流の供給源となる海が広がっているため、梅雨末期の集中豪雨に特に見舞われやすい地域である。線状降水帯が形成されやすい場所で大雨特別警報の発表も多く、特に福岡県筑後地方では2017-21年に5年連続で発表された。

本州のように最高気温が40℃以上になることはないが、真夏日熱帯夜日数は本土でもトップクラスに多い。低緯度かつ中国大陸からの熱波(チベット高気圧)の影響を受けやすいため、暑い期間が本州の猛暑地帯と比べても長く、都市化の影響を受けない地域でも夜の気温が下がりにくいのが特徴である。熊本市日田市などの内陸部は猛暑日も全国でも特に多い地域で、最高気温は南九州よりも高くなる日が多い。また、冷夏となることもほとんどなく安定して暑い。また、晩夏から秋にかけては南九州ほどではないが台風の影響を受けやすい。

玄界灘沿岸の福岡県・佐賀県の北部は日本海側に位置し、山陰北陸地方よりは降雪日数は少ないが、冬季は北西からの季節風の影響を受けやすいため曇りの日が多く、が降ることもある。福岡市の降雪日数は約17日(1971年(昭和46年) - 2000年平成12年)の平年値)。ただ、積雪は英彦山などが属する筑紫山地のような山地では見られるものの、平野部や都市部では多くはない。

瀬戸内側である福岡県北九州地方から大分県北・中部にかけての地域は瀬戸内海気候に属し、温暖で梅雨台風を除いて降水量は少なく、日本海側とは対照的に晴天が多い気候である。また、長崎県・佐賀県南部から福岡県筑後地方、熊本県にかけての有明海沿岸地域も似たような気候傾向がある。

雲仙岳阿蘇山久住山脊振山英彦山宗像四塚犬鳴山高崎山九千部山五家原岳多良岳

筑後川遠賀川那珂川嘉瀬川松浦川本明川山国川菊池川

平野筑紫平野筑後平野佐賀平野)、菊池平野中津平野

筑前大島能古島壱岐島対馬平戸島五島列島天草諸島

経済

太平洋ベルトの西端に当たる。洞海湾から周防灘にかけての地域には北九州工業地帯が形成されており、ここは日本の工業地帯の先駆けとなった地域でもある。自動車工業造船業が盛ん。


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