北海道マラソン
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将来は東京マラソンのような3万人規模の大会にすることを目指すとされている。

1985年、日本各地でのマラソンブームと1989年のはまなす国体に向け、フルマラソンで道民がスポーツへ関心を高める好機とすべくマラソン大会実現への機運が高まった。当時は暑さでの故障を防ぐため日本国内のマラソン大会の開催は11月から3月に限定されており、当時の日本陸連強化委員長の小掛照二が暑い夏季五輪への対応や道内合宿から移動の負担が少ない事を利点に開催実現を後押しし、北海道陸上競技協会会長の鈴木伊佐夫は大会増加による警備運営の大変さが増すことに対し当時道内最大の陸上競技大会であった「旭川-札幌間駅伝」の廃止を決断した上で「フルマラソンは道内陸上界を盛り上げるチャンス」と説得を続けた[1]

1987年3月に「実業団選手は道内限定」「海外招待選手は道内市町村の姉妹都市から」という条件付きで開催を承認、国内では前例のない夏場のフルマラソンが実現することとなった[1]

第1回(1987年)と第2回(1988年)は9月第1週に開催され、札幌厚別公園競技場を発着点とし、南郷通、大通を経由して北6条西27丁目で折り返すリターン型のコース設定で行われていた。参加者数は400人程度であった。

第3回(1989年)は、第44回国民体育大会はまなす国体)の直前となり、運営スタッフや交通整理での人員確保に支障が起きる可能性により8月下旬の開催となり、それ以降も8月下旬の開催がほぼ定着した(ただし1991年の第5回は、東京で世界陸上が開催されたため8月上旬に繰り上げ開催)。 同時にコースも「真駒内陸上競技場発・中島公園ゴール」のポイント・ツー・ポイント(ワンウエー)型に変更された(2004年の第18回以降は20?30km部分のルートを一部変更)。

第20回(2006年)では、渡辺共則が所属チームの後輩でもある久保田満とゴール直前まで競り合い、これを制して優勝。

第21回(2007年)は、8月第4週・9月第1週に世界陸上大阪大会が開催されたため、これに重ならないように最も遅い9月9日に開催された。北海道マラソンが9月開催となったのは1988年9月4日に行われた第2回以来、19年ぶりであった。

第23回(2009年)よりコースを大幅に変更の上、制限時間を4時間から5時間に延長し、定員も8000人に引き上げられた。またスタート地点は中島公園に、及びゴール地点は大通公園にそれぞれ変更された。

第25回(2011年)は定員が9200人まで引き上げられた。

第26回(2012年)は定員が11000人に引き上げられ、初めて1万人を突破。また、スタート時間は午前9:00に繰り上げられたほか、コースもスタート地点を大通公園にするなどの変更がされた。

第29回(2015年)より「はまなす車いすマラソン」と併催[2]

2020年は開催予定日の8月30日東京パラリンピックの開催期間と重なり、運営全般に関わる要員を確保するのが困難であることと、8月6日 - 8月9日東京オリンピックのマラソンと競歩で大通公園内に大会関係施設が設置され、現状復帰に時間がかかる事から初の休止となる[3]

2021年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で本年に延期された東京パラリンピックの開催期間と重なり、運営全般に関わる要員を確保するのが困難であることと、8月5日 - 8月8日の東京オリンピックのマラソンと競歩で大通公園内に大会関係施設が設置され、準備に支障が出るため2020年に引き続き開催休止となる。

第34回(2022年)は制限時間を5時間から6時間に延長し、定員が20000人まで引き上げられた。また、東京オリンピックのレガシーを取り入れたコース変更が行われた。スペシャルアンバサダーは東京オリンピックマラソン代表の大迫傑。テーマソングは札幌で結成されたロックバンドサカナクションの『多分、風。

第35回(2023年)はワールドアスレチックス(WA)のロードレースラベルを取得。また、ウェーブスタートが導入される予定。

参加資格

招待競技者…国内・国外を問わず、日本陸上競技連盟及び主催者が推薦する者一般競技者:約18歳以上(詳細は大会公式ホームページ参照)で5時間以内にフルマラソンを走れる者[4]
参加者と完走タイムの変遷北海道マラソン大会別タイム別分布グラフ

1987年に439人の参加で始まった大会は、制限時間と申込資格タイムが設けられていたため、2006年までは完走者はほぼすべて4時間以内にゴールしていた。参加者が5,000人を超えた2007年には陸連登録者と一般ランナーの分離スタートが導入され、多くの市民ランナーが参加したが、制限時間のため、2007年、2008年大会では完走率は5割以下であった。2009年には制限時間が緩和され、完走率が大幅に上がる一方、最多ゴールタイム区分が初めて4時間以上となった。2012年には大通公園発着の新コースが導入されるなど、大会を一般に広める方針がさらに進められ、近年では10,000人以上の一般市民が参加して8割程度が完走、うち6割は4時間を超えてゴールしている現状である(グラフ拡大参照)。
歴代優勝者

※所属は当時。※太字は大会記録。

開催日男子タイム女子タイム
11987年9月6日 フョードル・F・リジョフ
 (SSR)2時間24分28秒 ルイッツヤ・R・ベリヤエバ (SSR)2時間42分17秒
21988年9月4日 西政幸 (JPN) (旭化成)2時間17分11秒 ジェーン・ウェルゼル (USA)2時間40分53秒
31989年8月27日 谷口浩美 (JPN) (旭化成)2時間13分16秒 ロレーン・モラー (NZL))2時間36分39秒
41990年8月26日 篠原太 (JPN) (神戸製鋼)2時間15分32秒 リサ・ワイデンバック (USA))2時間31分29秒
51991年8月4日 藤田幸一 (JPN) (沖電気宮崎)2時間17分05秒 ロレーン・モラー (NZL) -2-2時間33分20秒
61992年8月30日 マイケル・スカウト (ZAF)2時間16分38秒 オルガ・アペル (MEX)2時間30分22秒
71993年8月29日 タデッセ・ゲブレ (ETH) (テクモ)2時間15分34秒 藤村信子 (JPN) (ダイハツ)2時間33分10秒
81994年8月28日 エリック・ワイナイナ (KEN) (コニカ)2時間15分03秒 オルガ・アペル (USA) -2-2時間36分33秒
91995年8月27日 タデッセ・ゲブレ (ETH) (テクモ) -2-2時間15分07秒 有森裕子 (JPN) (リクルート)2時間29分17秒
101996年8月25日 ブルック・ベケレ (ETH) (テクモ) -2-2時間14分26秒 安部友恵 (JPN) (旭化成)2時間31分21秒
111997年8月31日 エリック・ワイナイナ (KEN) (コニカ) -2-2時間13分45秒 小倉千洋 (JPN) (和光証券)2時間33分30秒
121998年8月30日 アンベッセ・トロッサ (ETH) (テクモ)2時間10分13秒 山口衛里 (JPN) (天満屋)2時間27分36秒
131999年8月29日 松本政大 (JPN) (NTT西日本)2時間12分08秒 松尾和美 (JPN) (天満屋)2時間32分14秒
142000年8月27日 ディオニシオ・セロン (MEX)2時間17分14秒 市河麻由美 (JPN) (三井海上)2時間32分30秒
152001年8月26日 佐々勤 (JPN) (旭化成)2時間13分45秒 千葉真子 (JPN) (佐倉アスリート倶楽部)2時間30分39秒
162002年8月25日 サムソン・カンディエ (KEN)2時間15分12秒 堀江知佳 (JPN) (積水化学)2時間26分11秒
172003年8月31日 エリック・ワイナイナ (KEN) (コニカミノルタ) -3-2時間13分13秒 田中千洋 (JPN) (トクセン工業) -2-2時間34分11秒
182004年8月29日 ラバン・カギカ (KEN) (JFE)2時間12分20秒 千葉真子 (JPN) (豊田自動織機) -2-2時間26分50秒


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