北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線
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^ 1948年7月1日 - 1950年
保線事務所(線路班)関係者の通勤・通学のために一部列車が停車。
1950年 - 1959年4月30日仮乗降場
^ 1948年7月1日 - 1968年9月30日
保線事務所(線路班)関係者の通勤・通学ために一部列車が停車。
1968年10月1日 - 1987年3月31日は仮乗降場。
^ 1946年9月10日 - 1952年3月24日は仮乗降場。
^ 1948年7月1日 - 30日
保線事務所(線路班)関係者の通勤・通学のために一部列車が停車。
同年8月1日 - 1987年3月31日は仮乗降場。
^ 1916年11月1日 - 1931年4月6日(閉鎖のみ、廃止時期不詳)は信号場
1948年7月1日 - (時期不詳)は
保線事務所(線路班)関係者の通勤・通学のために一部列車が停車。
^ a b 1955年8月20日 - 1959年10月31日は仮乗降場。
^ 1956年 - 1959年10月31日は仮乗降場。
^ 1957年 - 1959年10月31日は仮乗降場。
^ 1947年2月11日 - 1950年1月14日は仮乗降場。
^ 1955年9月 - 1959年10月31日は仮乗降場。
^ 1948年5月 - 1959年10月31日は仮乗降場。


2000年に廃車後、廃線後も旧車庫横に放置されていたCR70-4・5(2007年2月)北見市内の市道との立体交差の様子(2009年9月)

ふるさと銀河線(ふるさとぎんがせん)は、北海道中川郡池田町十勝支庁)の池田駅から北見市網走支庁)の北見駅に至る北海道ちほく高原鉄道が運営していた鉄道路線[新聞 1]。旧国鉄特定地方交通線の池北線(ちほくせん)を引き継いだ路線で[新聞 1]2006年4月21日に廃止された[新聞 2]。営業当時は日本の第三セクター鉄道路線としては最長の営業距離を持つ路線であり、廃止後も2019年3月23日に三陸鉄道リアス線 (163.0km) を開業するまでは史上最長であった。
路線データ

路線距離(
営業キロ):140.0 km

軌間:1,067 mm狭軌

駅数:33駅(起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線

電化区間:なし(全線非電化

閉塞方式特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)

最高速度

85 km/h(置戸駅 - 北見駅間)

80 km/h(池田駅 - 置戸駅間)


歴史第三セクター転換後については、当路線を経営した会社「北海道ちほく高原鉄道」も参照

もともとは、道央と網走を結ぶ幹線鉄道として網走線(あばしりせん)の名称で1910年明治43年)9月22日に池田側から開業したもので[1]1911年(明治44年)9月25日には野付牛(現在の北見)まで延長[1]1912年大正元年)10月5日にはさらに網走へと延長され[2]、同年11月18日には網走本線(あばしりほんせん)に改称された[1]。しかし、1932年昭和7年)10月1日に石北線が野付牛に達すると距離の短い石北線がメインルートとなり[3][注釈 1]1961年(昭和36年)4月1日には線路名称の整理が行われ、石北線が名実ともに本線(石北本線)となり[3]、池田 - 北見間が池北線となった[1]

沿線の豊富な森林資源の輸送ルートとして活用され、冬季には流氷によって使用できなくなるオホーツク港を代替する輸送手段として利用された[新聞 3]。しかし自動車の普及に伴い利用者が減少し[新聞 3]1980年(昭和55年)12月27日国鉄再建法施行により廃止対象となった。日本有数の人口希薄地帯である道東道北の国鉄特定地方交通線で営業キロが100 km 以上あった池北線、標津線天北線名寄本線の4線は「長大4線」と呼ばれ、特別な配慮を地元自治体が求めた。そこで、1984年(昭和59年)6月22日の第2次特定地方交通線承認では、バス転換しなければならないのかを調査するため、池北線など長大4線は保留された[4][5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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