北洋銀行
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(2021年3月期)[2]
総資産連結:11兆8582億700万円
単体:11兆8238億5000万円
(2021年3月期)[2]
従業員数2,442名
決算期3月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人
主要株主日本マスタートラスト信託銀行 (信託口) 9.64%
日本生命保険 8.01%
明治安田生命保険 8.01%
日本カストディ銀行 (信託口) 6.06%
北海道電力 6.02%
STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 505223(常任代理人みずほ銀行決済営業部)5.08%
(2023年3月31日現在)
主要子会社株式会社札幌北洋リース
株式会社札幌北洋カード
北洋ビジネスサービス株式会社
ノースパシフィック株式会社
北洋証券株式会社
株式会社北海道共創パートナーズ
関係する人物石井純二
外部リンク北洋銀行 公式サイト
特記事項:経常収益を売上高の項目に記載
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株式会社北洋銀行のデータ
法人番号8430001022711
店舗数178店
(本支店・出張所・海外駐在員事務所)
貸出金残高7兆7,625億79百万円
預金残高10兆8,329億81百万円
特記事項:
2023年3月現在[3]
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株式会社北洋銀行(ほくようぎんこう、英称:North Pacific Bank, Ltd.)は、北海道札幌市に本店を置く第二地方銀行
概要

第二地方銀行ではあるが、現在では地方銀行である北海道銀行をも上回る規模を有する北海道最大の金融機関である。

資金量・預金量は道内銀行で最大、かつ第二地方銀行で最大の資金量でもあり、総資産では地方銀行6位である[注 1]

また、帝国データバンクが企業概要ファイル「COSMOS2」に収録されている企業146万社(特殊法人・個人事業主を含む)を対象に行った「全国メーンバンク調査」(2016年12月)によると、北洋銀行の全国シェアは三菱UFJ銀行三井住友銀行みずほ銀行りそな銀行に続く全国5位(24,911社)であり、北海道でのシェアは34.79%と2位の北海道銀行(15.05%)を大きく引き離している。なお、全国順位及び北海道の順位は初回2009年調査時より変動はない[4]

金融再編の激動をくぐり抜けてきた北洋銀行は、平成以降を、「相互銀行から普通銀行への転換」を第一の創業、「拓銀(北海道拓殖銀行)の道内事業譲受」を第二の創業、そして「札銀(札幌銀行)との合併」を第三の創業と位置づけている。
北海道拓殖銀行の道内事業譲受

拓銀の受け皿となるまでは当該項を参照されたいが、本来大蔵省は北海道銀行(道銀)か札幌銀行(札銀)への営業譲渡を進めていた。

1997年4月1日、河谷禎昌拓銀頭取と藤田恒郎道銀頭取が両行の合併によって「新北海道銀行」を発足させる方針を発表するが、同年9月12日、両頭取は共同会見で合併の延期を発表。この合併交渉を巡る感情的もつれから、拓銀は大蔵省による道銀への営業譲渡の要請を拒否した[5]。また札銀への営業譲渡も拓銀OBである当時の潮田隆札銀会長兼頭取と拓銀首脳陣の確執が尾を引き沙汰やみとなった[注 2]。この結果、大蔵省側としては譲渡先として想定していなかった日銀出身の武井正直頭取が率いていた北洋銀が浮上。営業譲渡先と決定した。すなわち、日銀主導かつ武井頭取の「ツルの一声」で北洋銀が北海道経済を漁夫の利で得たとされる。

営業譲渡にあたって最難関となった案件は、拓銀の債権引継ぎの方途にあった[6]。通常、経営破綻した銀行の営業を引き継ぐ受皿銀行は、正常債権のみを破綻銀行から簿価で引き取り、第2分類債権等の不良債権預金保険機構の下部組織である整理回収銀行(現:整理回収機構)が時価で買い取っていた[7]。北洋銀は拓銀の営業譲渡を引き受けた時点で、1995年8月に経営破綻した兵庫銀行の受皿銀行として設立されたみどり銀行が、第2分類まで引き継ぎ、程なく資産の劣化から経営が行き詰まり、阪神銀行(現:みなと銀行)に救済合併された事実に鑑み、「正常債権しか受けない。受けるか否かは北洋銀行が判断する」との約束を大蔵省と取り付けていた。しかし、北洋銀が拓銀の債権を精査した所、仮に第2分類を全く引き受けないとした場合、北海道経済に対し甚大な影響をもたらすことが判明した。そこで北洋銀は、拓銀の債権を引き継ぐ際、額面ではなく、将来の貸し倒れリスクまでを織り込む「割引現在価値法DCF法)」という当時の新しい会計基準を適用するよう大蔵省に要請した[8][9]。北洋銀と大蔵省は折衝を進めるが、時価算定の方法で見解が分かれ、交渉は暗礁に乗り上げた。またその最中には大蔵省接待汚職事件が発覚し翻弄されたほか、第2分類企業の救済案として公的な「受皿銀行」を新たに設立する構想が政府・自民党で浮上・消滅するなど[10]、債権引き継ぎ問題は混迷を深めた。1998年7月に入り、政府は債権譲渡価格の大幅割引を認める方針を示し、さらに割引現在価値法も一部の大口債権について認めることとした。これによって同年9月、第2分類債権の帰趨はようやく決し、拓銀の道内貸し出し債権16万2600件(3兆4800億円)のうち、北洋銀が営業譲渡日に引き継いだのは15万8400件(1兆8600億円)、第2分類債権も2300件(3600億円)のうち、1800件(2500億円)を引き継いだ[10]

同年11月16日、拓銀からの109店を引き継ぎ、総店舗数は231店、資金量も拓銀の道内預金が加算され約4兆7千億円に達する営業譲渡が完遂された[11]。営業譲渡によって、北洋銀は大幅に業容が拡大。拓銀破綻前はメイン先数で道内3位だったのが一気にトップに向上[12]。さらに第二地銀の最大手の地位を得た。2006年、拓銀本店営業部であった北洋大通ビルは解体され、2010年4月新ビルである北洋大通センターが竣工。翌年1月11日には本店営業部も北洋大通センターに移転し営業を開始した[13][14]
札幌銀行との合併

拓銀破綻から10年経過した2008年10月14日、1999年に包括的業務提携を結び、さらに2001年には金融持株会社である「札幌北洋ホールディングス」を設立した札幌銀行と対等合併(存続金融機関は北洋銀)した[15]。この合併は、2007年3月期から金融庁が導入した新自己資本比率(バーゼル2)によって、内部統制の厳格化などが求められ、両行の本部負担も大幅に増加したことから[16]、予定していた両行のシステム統合の責任者であった横内龍三頭取(当時)が経営環境も踏まえ主導し、まず会長であった高向巌を説得。さらに当時の札銀頭取であった吉野次郎を交え、「強い銀行ができれば、北海道経済にもプラスとなり、今まで支えきれなかった企業も支えることができる」との認識を共有し合併を決断した[17]。合併後北洋銀は、リテール部門の強化を打ち出し、店舗再編によって生まれた余剰人員を同部門に投入した[18][注 3]
主な指標

自己資本比率(国内基準)11.2%(2011年7月27日現在)
[19]

格付けA (2015年(平成27年)6月23日日本格付研究所調べ[20]

沿革旧小樽無尽本店(2018年7月)北洋銀行旧本店(2007年6月)

1917年(大正6年) - 無尽会社・北海道無尽として設立[21]

1918年(大正7年) - 商号を小樽無尽に変更[21]


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