北洋銀行
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通常、経営破綻した銀行の営業を引き継ぐ受皿銀行は、正常債権のみを破綻銀行から簿価で引き取り、第2分類債権等の不良債権預金保険機構の下部組織である整理回収銀行(現:整理回収機構)が時価で買い取っていた[7]。北洋銀は拓銀の営業譲渡を引き受けた時点で、1995年8月に経営破綻した兵庫銀行の受皿銀行として設立されたみどり銀行が、第2分類まで引き継ぎ、程なく資産の劣化から経営が行き詰まり、阪神銀行(現:みなと銀行)に救済合併された事実に鑑み、「正常債権しか受けない。受けるか否かは北洋銀行が判断する」との約束を大蔵省と取り付けていた。しかし、北洋銀が拓銀の債権を精査した所、仮に第2分類を全く引き受けないとした場合、北海道経済に対し甚大な影響をもたらすことが判明した。そこで北洋銀は、拓銀の債権を引き継ぐ際、額面ではなく、将来の貸し倒れリスクまでを織り込む「割引現在価値法DCF法)」という当時の新しい会計基準を適用するよう大蔵省に要請した[8][9]。北洋銀と大蔵省は折衝を進めるが、時価算定の方法で見解が分かれ、交渉は暗礁に乗り上げた。またその最中には大蔵省接待汚職事件が発覚し翻弄されたほか、第2分類企業の救済案として公的な「受皿銀行」を新たに設立する構想が政府・自民党で浮上・消滅するなど[10]、債権引き継ぎ問題は混迷を深めた。1998年7月に入り、政府は債権譲渡価格の大幅割引を認める方針を示し、さらに割引現在価値法も一部の大口債権について認めることとした。これによって同年9月、第2分類債権の帰趨はようやく決し、拓銀の道内貸し出し債権16万2600件(3兆4800億円)のうち、北洋銀が営業譲渡日に引き継いだのは15万8400件(1兆8600億円)、第2分類債権も2300件(3600億円)のうち、1800件(2500億円)を引き継いだ[10]

同年11月16日、拓銀からの109店を引き継ぎ、総店舗数は231店、資金量も拓銀の道内預金が加算され約4兆7千億円に達する営業譲渡が完遂された[11]。営業譲渡によって、北洋銀は大幅に業容が拡大。拓銀破綻前はメイン先数で道内3位だったのが一気にトップに向上[12]。さらに第二地銀の最大手の地位を得た。2006年、拓銀本店営業部であった北洋大通ビルは解体され、2010年4月新ビルである北洋大通センターが竣工。翌年1月11日には本店営業部も北洋大通センターに移転し営業を開始した[13][14]
札幌銀行との合併

拓銀破綻から10年経過した2008年10月14日、1999年に包括的業務提携を結び、さらに2001年には金融持株会社である「札幌北洋ホールディングス」を設立した札幌銀行と対等合併(存続金融機関は北洋銀)した[15]。この合併は、2007年3月期から金融庁が導入した新自己資本比率(バーゼル2)によって、内部統制の厳格化などが求められ、両行の本部負担も大幅に増加したことから[16]、予定していた両行のシステム統合の責任者であった横内龍三頭取(当時)が経営環境も踏まえ主導し、まず会長であった高向巌を説得。さらに当時の札銀頭取であった吉野次郎を交え、「強い銀行ができれば、北海道経済にもプラスとなり、今まで支えきれなかった企業も支えることができる」との認識を共有し合併を決断した[17]。合併後北洋銀は、リテール部門の強化を打ち出し、店舗再編によって生まれた余剰人員を同部門に投入した[18][注 3]
主な指標

自己資本比率(国内基準)11.2%(2011年7月27日現在)
[19]

格付けA (2015年(平成27年)6月23日日本格付研究所調べ[20]

沿革旧小樽無尽本店(2018年7月)北洋銀行旧本店(2007年6月)

1917年(大正6年) - 無尽会社・北海道無尽として設立[21]

1918年(大正7年) - 商号を小樽無尽に変更[21]

1944年(昭和19年) - 政府方針により北海道の5つの無尽会社を一本化、北洋無尽となる[21]

1945年(昭和20年) - 本店を小樽市から札幌市に移す。

相互銀行時代


1951年(昭和26年) - 相互銀行法制定に伴い株式会社北洋相互銀行に改組。

1955年(昭和30年) - 北洋相互銀行・北海道拓殖銀行・北海道相互銀行(後の札幌銀行)の遠軽支店長、遠軽信用金庫の理事長が遠軽金融協会を設立した。

1970年(昭和45年 - 「北洋相互銀行50年史」(北洋相互銀行行史編さん室 編、583ページ)を発行。(6月)

1972年(昭和47年) - 北洋相互銀行芦別支店が業務一切を閉鎖。

1983年(昭和58年) - 前社長の大塚武会長(日銀出身)が、日高山系の神威岳遭難死(8月)。

1985年(昭和60年) - 現在のロゴマークを導入(10月)。

普通銀行転換


1989年(平成元年) - 普通銀行転換に伴い北洋銀行に商号変更(2月)[21]

拓銀譲受後


1998年(平成10年) - 破綻した北海道拓殖銀行から北海道内の営業を譲渡され、道内最大の銀行、そして第二地方銀行の最大手となった。また、この時点で北洋銀行芦別支店が26年ぶりの再開を果たした。

札幌銀行との業務提携から合併


1999年(平成11年) - 札幌銀行と包括的業務提携することで基本合意。

2000年(平成12年)5月6日 - 北洋銀と拓銀の統合システムが稼働を開始。

2001年(平成13年) - 札幌銀行と共同で金融持株会社札幌北洋ホールディングスを設立。

2004年(平成16年)

5月14日 - セブン銀行(当時:アイワイバンク銀行)と提携開始。

5月24日 - イーネットと提携を開始。


2007年(平成19年)

8月23日 - 主力行を務める石屋製菓社長に当社の島田俊平常務が就任。

11月12日 - イオン銀行と提携を開始[22]


2008年(平成20年) - システム統合をもって、札幌銀行と合併。

合併後


2008年(平成20年) - 3日後には、親会社の札幌北洋ホールディングスは北洋銀行単独としては8.45%から引き下げられ7.7%になったと発表。

2009年(平成21年)

改正された、金融機能強化法に基づき、公的資金の注入を申請する方向で検討に入る。

2009年3月の決算報告より、北洋銀行単独で、自己資本率を9.50に修正( ⇒決算報告書より

3月 - 第1種優先株式(発行総額1,000億円)を発行。

12月30日 - 複合商業施設であるカテプリ新さっぽろに脅迫電話がかかってきた。内容は「午後3時までにカテプリとその中にある北洋銀行と北海道銀行を爆破する」内容だった。両支店は、客全員を避難させ、ATMの終了時間を15時半頃に繰り上げ、両銀行の支店は、17時に支店を閉めた。

12月31日 - 札幌スキージャンプ台受注偽装詐欺事件の被害を受ける。


2010年(平成21年)

5月6日 - 大通支店を仮店舗から旧所在地跡地に建設された北洋大通センターに移転。これに併せて、本店ビル内にある本部機構も同日から7月までにかけて、北洋大通センターに順次移設。

8月11日 - 江別中央支店の元副支店長が着服をしていた事実を発表。

8月12日 - 大連銀行との業務協力提携。

8月24日 - TABLE FOR TWOプログラムへ参加することを発表。(実施期間は2010年8月24日から2011年3月31日までの予定。)

11月5日 - 道内金融機関として初となる、地方独立行政法人『北海道立総合研究機構』との連携協力協定を締結する。


2011年(平成23年)


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