北条泰時
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^ 『吾妻鏡』建久五年二月二日条。
建久五年二月小二日甲午。快霽。入夜。江間殿嫡男童名金剛。年十三。元服。於幕府有其儀。西侍搆鋪設於三行。…(参列者中略)…時剋。北條殿相具童形參給。則將軍家出御。有御加冠之儀。武州千葉介等取脂燭候左右。名字号太郎頼時。次被獻御鎧以下。新冠又賜御引出物。御釼者里見冠者義成傳之云々。次三獻。?飯。其後盃酒數巡。殆及歌舞云々。次召三浦介義澄於座右。以此冠者。可爲聟之旨被仰含。孫女之中撰好婦。可隨仰之由申之云々。
(※終盤では頼朝が三浦義澄に孫娘の一人を泰時に嫁がせるよう命じているが、これはのちに三浦義村の娘・矢部禅尼が泰時の妻となる形で実現している。本文を参照のこと。)
^ 細川重男は時政は北条家の後継者としていた政範の没後に、分家した(江間)義時・泰時父子ではなく朝時を後継者と決めたものの、間もなく牧氏事件によって義時の手で失脚しており、時政方であった朝時は父義時や兄泰時と不仲になったとみている[16]。一方で山本みなみは、当時の武家社会は嫡宗家が未確立な段階であり嫡子の選定もきわめて流動的であるとしたうえで、細川は時政が朝時を後継者とした理由の1つとして朝時が時政の名越邸を継承している点を挙げているが、朝時の名越邸継承は時政の失脚後に義時・政子の差配によってである可能性が高く、また朝時が義時・泰時と不仲になったのも義時が朝時の母方の一族比企氏比企能員の変で滅ぼしたことによって、朝時が義時の後継者となる可能性が低くなったからだとしている[17]
^ 石井清文は泰時と時房の関係について、「最高のパートナーであるとともに、互いに最強のライバルでもあった」と評価している[24]
^ 時房の執権(連署)就任を政子の後ろ盾によるものと見る論者は、政子とその盟友である広元の死は、時房にとっては政治的基盤に関わる問題で、急遽鎌倉に帰還して泰時と対峙する必要があったとする[26]
^吾妻鏡』嘉禄元年(1225年)12月29日条。烏帽子親は泰時が務めたが、「前春宮権大進俊道朝臣」なる者の選定によって「頼経」と名付けられた[12]。これに対して、時房は12月23日に突然病気になって三寅の元服を欠席しており、泰時と時房の権力闘争があったとする論者は依然として泰時との間にわだかまりを残していた可能性もあるとしている[29]
^ 将軍宣下の報を持った幕府の使者佐々木信綱の鎌倉到着は2月13日。実朝暗殺以降6年余、幕府は征夷大将軍不在であった。
^ これは時房と協調しつつもその政治的影響力を警戒していた泰時が時房の政治的後継者の地位を目指す時盛を排して娘婿である朝直を後見することで時房流の分裂を促したと見る説もある[35]
^ 北条義時の娘とする説もある[44]
^ 北条義時の娘(泰時の妹)とする異本もある。
^ 泰時の弟・実義(後の実泰)は将軍・源実朝烏帽子親としてその一字(「実」の字)を与えられたが、次代の実時以降の金沢流北条氏の当主は得宗家の当主を烏帽子親としてその一字を与えられている。これは、北条氏の一族の中で将軍を烏帽子親として一字を与えられるのが得宗家と赤橋流北条氏当主に限定され、金沢流北条氏の当主は大仏流北条氏の当主とともにそれよりも一ランク低い得宗家を烏帽子親とする家と位置づけられ、実義から実泰への改名もその方針に沿ったものであったと考えられている[46]
^吾妻鏡天福元年(1233年12月29日条に、実時が泰時の邸宅において元服した旨の記事が見え、この時泰時が烏帽子親を務めて「時」の一字を与えたとされている[12][46]
^ 鎌倉期の足利嫡流家の歴代当主のは「得宗家当主の偏諱通字の「氏」」で構成されていた[48]
^ 「平賀氏系譜」(『平賀家文書』二四八号[58])の惟泰の付記に、貞永2年(1232年7月11日に武蔵前司入道殿(=泰時)の邸宅で元服した旨の記載があり、その名乗りから烏帽子親である泰時から「泰」の字を受けたと考えられている[59]

出典^ 近藤成一『執権 北条義時』三笠書房 知的生きかた文庫、2021年、p.172-173
^ 坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏―義時はいかに朝廷を乗り越えたか』NHK出版〈NHK出版新書〉、2021年9月10日、142-147・149-153頁頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-14-088661-8
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