摂家将軍・頼経、頼嗣は成長すると独自の政権運営を指向し、執権に反抗的な態度を取る。第5代執権・北条時頼は第5代将軍・頼嗣を追放し、宗尊親王を第6代将軍に迎えることで、この危機を乗り切り朝廷との関係を固めた(皇族将軍)。
第8代執権・北条時宗は元からの国書を黙殺して、御家人を統率して元寇と戦う。これを機に鎌倉幕府は非御家人への軍事指揮権も獲得したほか、西国での支配権が強化され、北条一門が鎮西探題、長門探題として派遣された。また、北条一門の諸国守護職の独占も進む。時宗の息子・第9代執権・北条貞時は平禅門の乱で内管領の平頼綱を滅ぼして得宗専制を確立する。これらにより、御家人層の没落が進行し、没落した御家人の中には御内人になる者もあらわれる。
貞時の子・第14代執権・北条高時は後醍醐天皇の挙兵計画である正中の変を未然に防ぐが、後醍醐が2度目の計画である元弘の乱に続いて1333年(元弘3年/正慶2年)に再度挙兵すると、御家人筆頭の足利高氏(尊氏)がこれに呼応して京都の六波羅探題を滅ぼし、上野国の新田義貞も挙兵し、高氏の嫡子千寿王(足利義詮)が合流すると関東の御家人が雪崩を打って倒幕軍に寝返り、鎌倉を陥落させる。最後は、東勝寺合戦において敗戦し北条一族のほとんどは討死、また直後に自害し北条氏は滅亡する。 鎌倉幕府滅亡後に建武の新政が開始された後も、北条氏の残党は津軽や日向国、伊予国など各地で散発的に反乱を起こした。1335年(建武2年)に京都に潜伏していた高時の弟・北条泰家(時興)が公家の西園寺公宗と政権転覆を計画するが未然に発覚する。公宗は後醍醐天皇暗殺に失敗し誅殺されたが、泰家は逃亡して各地の北条残党に挙兵を呼びかける。北条氏の守護国のひとつであった信濃国で高時の子・時行らが挙兵し、中先代の乱を起こす。時行軍は足利方の信濃守護・小笠原貞宗を破り、鎌倉を占領する。鎌倉にいた足利尊氏の弟・足利直義は、幽閉されていた護良親王が時行に担がれる事を警戒し、家臣の淵辺義博に護良親王を殺害させる。尊氏は後醍醐天皇の勅状を得ないまま乱の討伐に向かい、時行を駆逐してそのまま鎌倉へ留まり建武政権から離反する。その後、時行は南朝から朝敵免除を受け、観応の擾乱の際に武蔵国で再度挙兵するが、尊氏に敗れて捕らえられ斬られた。 時行の子孫は横井氏
鎌倉幕府滅亡後・子孫
北条氏の女系血筋は足利氏ら武家や阿野家ら公家などに受け継がれている。 太字は得宗家当主 北条時政1@
北条氏の一族
北条時政(源頼朝の舅。初代執権)
北条宗時(時政の長男)
北条政子(時政の長女、頼朝の妻)
北条義時(時政の次男。2代執権)
北条時房(時政の三男。大仏氏・佐介氏の祖)
北条政範(時政の四男)
北条時定(時政の甥か)
北条泰時(泰時)(義時の長男。3代執権)
北条朝時(義時の次男。名越氏の祖)
北条重時(義時の三男。極楽寺氏の祖)
北条政村(義時の四男。7代執権)
北条実泰(義時の五男。金沢氏の祖)
北条時氏(泰時の長男)
北条経時(時氏の長男。4代執権)
北条時頼(時氏の次男。5代執権)
北条長時(重時の長男。6代執権。赤橋氏の祖)
北条時茂(重時の次男)
北条業時(重時の三男)
北条実時(実泰の長男)
北条時輔(時頼の長男)
北条時宗(時頼の次男。8代執権)
北条宗政(時頼の三男)
北条義宗(長時の長男)
北条顕時(実時の長男)
北条貞時(時宗の長男。9代執権)
北条師時(宗政の子。10代執権)
北条朝直(時房の四男)
北条宣時(朝直の子)
北条宗宣(宣時の長男。11代執権)
北条時村 (政村流)(政村の子)
北条為時(時村の子)
北条煕時(為時の長男。12代執権)
北条時兼(業時の長男)
北条基時(時兼の長男。13代執権)
北条高時(貞時の三男。14代執権)
北条貞顕(顕時の四男。15代執権)
北条久時(義宗の長男)
北条守時(久時の長男。16代執権)
赤橋登子(久時の娘。足利尊氏の正室)
北条仲時(基時の子)
北条貞将(貞顕の次男。17代執権とする説あり)
北条邦時(高時の長男)
北条時行(高時の次男)
北条治時(高時の養子)
系譜※ 数字は宗家(得宗家)当主継承順※ 丸数字は執権就任順※ ローマ数字は連署就任順※ 太字は宗家(得宗家)当主※ 得宗家以外は執権・連署就任者とその係累のみを記載。それ以外傍流の系譜については当該記事を参照。 北条氏系図