北条時政
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^ この婚姻に関する時政の考えとしては、この頃、京都では平清盛後白河法皇の間に対立の兆しが見え始め、延暦寺強訴安元の大火鹿ケ谷の陰謀が立て続けに起こっていた。在京して中央の情勢を見ていた時政は、平氏政権が長く続かないことを見越して頼朝を婿とした可能性もあるとみる一方[要出典]、ただ単に政子の熱意に押されただけで、利害を求めるとしても頼朝はその貴種が在地豪族である伊東氏に対する防波堤を果たす可能性があることを多少期待したに過ぎないという見方もある。(細川重男『頼朝の武士団』(洋泉社))
^ その後の時政の行動は『吾妻鏡』によると、一旦別ルートで安房へと渡り、頼朝と合流。態勢の立て直しが模索される中、9月8日に甲斐源氏を味方に引き入れる密命を受けて甲斐に赴き、15日に武田信義一条忠頼のいる逸見山に到着、「頼朝の仰せの趣」を伝える。上総広常を味方につけた頼朝は20日、土屋宗遠を第二の使者として甲斐に送る。24日、宗遠の来訪を受けた甲斐源氏は一族を集め、頼朝と駿河で参会すべきか評議したという。一方、『延慶本平家物語』には、「時政は敗戦後に頼朝とはぐれてそのまま甲斐に逃れた」「頼朝は時政の生死を知らずに、宗遠を甲斐に使者として送った」という記述があり、『吾妻鏡』の記述と齟齬が見られる。時政は単純に甲斐に亡命していただけという解釈も成り立ち、甲斐源氏懐柔のため奔走したという逸話は『吾妻鏡』編者による北条氏顕彰のための曲筆の可能性もある。
^ 「七ヶ国地頭」の設置対象地域は畿内近国と推定されるが詳細は不明であり、惣追捕使との関係も明瞭ではない。現在ではこの「七ヶ国地頭」は鎌倉時代に一般的だった大犯三ヶ条を職務とする守護、荘園・公領に設置された地頭ではなく、段別五升の兵粮米の徴収・田地の知行権・国内武士の動員権など強大な権限を持つ「国地頭」であり、守護の前段階とする説が有力となっている(川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』〈講談社選書メチエ〉講談社、1996年)。国地頭は強大な権限を持つ反面、荘園領主である貴族・寺社との紛争処理や国衙行政の監督、後白河院からの要望など、対応しなければならない諸問題も多く、時政は義経・行家の捜索に専念したい思惑から軍事・検断関係を職務とする惣追捕使となることを望んだのではないかとする見解がある(松島周一「北条時政の京都駐留」『日本文化論叢』9号、2001年)。
^武家年代記』には「元久三六任相模守」とあり元久3年(1206年)6月とも読めるが、『鎌倉年代記』『系図纂要』『北条九代記』『将軍執権次第』はいずれも元久元年(1204年)3月6日であり、「元年」の語句が欠落していると思われる。
^ 乱後に重忠の無罪が明らかになると、時政派の稲毛重成、榛谷重朝(重成の弟)が三浦義村に誅殺されている。
^ 通説では伊東祐親の娘とされる。ただし、祐親の妹とする異説もある。
^ 坂井孝一は真名本『曾我物語』巻五に「鎌倉殿の御台盤所」(政子)の母が曾我兄弟の伯母と書かれていることから、政子の母も宗時・義時を生んだ伊東祐親の娘としている[19]。また、坂井は当時の時政クラスの武士は側室を持つ習慣がないため、時政は最初の妻である伊東祐親の娘の死後に牧の方と再婚したと結論付けた上で、政範・平賀朝雅妻・三条実宣妻・宇都宮頼綱妻・坊門忠清妻・大岡時親妻は牧の方の子で河野通信妻も牧の方の子と推定されるため、合計7名の子を産んだとし、宗時・政子・義時・時子・阿波局・時房・稲毛女房・畠山重忠妻は伊東祐親の娘の子可能性があるとした上で、時政が20歳の時に生まれた政子が第1子で、12歳年下の時房が第8子(祐親娘の末子)であったとしている[20]。ただし『愚管抄』では大岡時親は牧の方の兄とあり、その場合は牧の方の娘を娶ったとは考えられない。
^ 重忠の死後、重忠旧領と畠山の名跡は足利義兼の庶長子・足利義純が重忠の未亡人(時政女)と婚姻し、継承したというのが通説だが、異説として、義純が婚姻した女性は重忠の未亡人(時政女)ではなく、重忠と時政女との間に生まれた女性で、この女性が畠山泰国の母であるとの説もある。この説の場合、義純は重忠の娘婿で泰国は重忠の外孫にあたることになる。
^ 山野龍太郎「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」(所収:山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』(思文閣出版、2012年)、典拠は『吾妻鏡』建久元年(1190年9月7日条。詳細は当該項目を参照のこと。
^ 「甲斐信濃源氏綱要」(『系図綜覧』所収)の信政項に「元久元年十一十五首服加冠平時政、理髪三浦介、號小五郎、十、信光三男也、請加冠字、既為嘉例也」とある。

出典^ a b 加藤晃 1984, p. 109.
^ 近藤成一『執権 北条義時』三笠書房 知的生きかた文庫、2021年、p.36-41
^ 杉橋隆夫 1987.
^ 野口実の説。
^ 奥富敬之坂井孝一の説。
^ a b 野口実 2012, p. 32.
^ 野口実 2012, p. 32-33.
^ a b 野口実『治承?文治の内乱と鎌倉幕府の成立』(清文堂出版、2014年)
^ 野口実 2012, p. 48.
^ 近藤成一『執権 北条義時』三笠書房 知的生きかた文庫、2021年。p.36-41
^ 湯山賢一 1991.
^ 山本みなみ『史伝 北条義時』小学館、2021年、p135
^ 山野龍太郎「畠山重忠の政治的遺産」『武蔵武士の諸相』勉誠出版、2017年。
^ 安田元久 1986, p. 118.
^ 坂井孝一 2021, p. 174.
^ 上横手雅敬 1988, p. 151–152.
^ “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁. 2023年2月3日閲覧。
^ 『系図纂要』
^ 坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏―義時はいかに朝廷を乗り越えたか』NHK出版〈NHK出版新書〉、2021年9月10日 ISBN 978-4-14-088661-8 P42-44.
^ 坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏―義時はいかに朝廷を乗り越えたか』NHK出版〈NHK出版新書〉、2021年9月10日 ISBN 978-4-14-088661-8 P48-51.
^ 「牧の方」『国史大辞典』
^ 坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏―義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(NHK出版、2021年)は、彼女を伊東祐親の娘の子と推測する(P50.)

参考文献

上横手雅敬『北条泰時』(新装)吉川弘文館〈人物叢書〉、1988年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-642-05135-X
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