北政所
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その正室(のちの高台院)には秀吉の関白補任に伴い従三位が授けられているが[2]、彼女はこの直後から「北政所」と呼ばれるようになっていることから、叙位と同時に北政所の称号を贈る宣旨も出たものと考えられる。

本来は「その任を子弟に譲った前関白」を意味する普通名詞だった「太閤」が、秀吉以後は専ら秀吉のことを指す固有名詞のようになったのと同じように、それまでは「摂政関白の正室」の称号だった「北政所」も、この高台院以後は専ら彼女のことを指す固有名詞として定着し今日に至っている[3]

また、正室に贈られる「北政所」に対して、摂政関白の母(正室)に贈られる称号を「大北政所(おおきたまんどころ)/ 大北の政所(おおきたのまんどころ)」といい、略して「大政所(おおまんどころ)」といった。これも秀吉の母であるなかに贈られてからは、専ら彼女を指す語になっている。詳細は「高台院」および「大政所」を参照
脚注[脚注の使い方]^ 湯川敏治『戦国期公家社会と荘園経済』、続群書類従完成会、2005年、18?19頁、62?64頁
^ 2年後後陽成天皇聚楽第行幸が滞りなく終わると、同日付けで彼女の位階は破格の従一位に陞叙されている。
^ 江戸時代の史書には、この高台院の「北政所」を略して北庁(旧字体:北廰)と書いたものも多い。また北政所在世当時の公家などの日記には単に「政所」と記す場合も多い。

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