北大西洋条約機構
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2020年時点の軍事費合計は、世界の名目総額の57%以上を占めている[13]。加盟国は、2024年までにGDPの少なくとも2%という目標防衛支出を達成または維持することに合意している[14][15]

NATOは12か国の設立メンバーで結成され、これまでに8回新メンバーを加え、直近では2023年4月にフィンランド[16]、2024年3月にスウェーデンが加盟した[3][5]。このほかボスニア・ヘルツェゴビナジョージアウクライナを加盟希望国として認めている。

旧ソ連の領土と軍事力の大半を継承したロシア連邦は、NATOの「平和のためのパートナーシップ」プログラムに参加しているNATO加盟国以外の20か国のうちの1か国であるが、一方で旧東欧諸国のNATO加盟を「NATOの東方拡大」と呼んで激しく反発している。2022年のロシアのウクライナ侵攻により、それまで中立国だった北欧のフィンランドやスウェーデンもNATO加盟を申請する外交政策の歴史的転換を行った[17]
歴史NATO創設に尽力した英外相アーネスト・ベヴィン。詳細は「北大西洋条約機構の歴史(英語版)」を参照
設立の経緯についてNATOのサミット(2002年)NATOのサミット(2004年)

第二次世界大戦ナチス・ドイツなど枢軸国の敗北で終わり、アメリカ合衆国や西欧諸国は、東欧を影響圏に置いた共産主義国家であるソ連の脅威に直面し、東西冷戦が始まった。西欧では共同防衛条約として1948年にブリュッセル条約が結ばれた[18]。これには、ドイツの再侵略に対する警戒が条約文に明記されていたが、実態としてはソ連に対抗する意図があった[18]。アメリカ合衆国の外交姿勢には伝統的な孤立主義があったが、アメリカ合衆国上院において1948年6月11日にバンデンバーグ決議がなされ、集団防衛体制への参加が認められた[18]イギリス外相アーネスト・ベヴィンらは、アメリカ合衆国も含めた共同防衛条約の成立に動き、1949年4月4日北大西洋条約が調印された[18]

結成当初は、ソ連を中心とする共産圏に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカ合衆国を引き込み、ロシア(ソ連)を締め出し、ドイツを抑え込む」[注釈 1]反共主義封じ込め)という、初代事務総長であるヘイスティングス・イスメイの言葉が象徴するように、欧州諸国を長年にわたって悩ませたドイツ問題に対する一つの回答でもあった[注釈 2]

当初はアメリカ合衆国などの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(「モーゲンソー・プラン」も参照)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊機雷掃海艇部隊以外の国軍を持つことは許されず、アメリカ合衆国、フランス、イギリス、ソ連の4か国が治安に責任を担っていた。しかし、冷戦の開始とともに西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツの再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の設立とNATOへの加盟準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたが、ド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍(ドイツ軍)が1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。一方、この事態を受けてソ連を中心とする東側8か国はワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させ[注釈 3]、ヨーロッパは少数の中立国を除き、2つの軍事同盟によって東西に分割されることとなった

1949年から1954年まで、パウル・ファン・ゼーラントアメリカ合衆国連邦政府とNATO双方の経済顧問を務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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