西欧はアメリカ合衆国の庇護を利用することによって、ソ連を初めとする東欧の軍事的脅威から国を守ることに成功した。「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。
西側諸国はNATOによる共同防衛と並行して、冷戦時代から冷戦後にかけて、中立国を含めた欧州統合や東側諸国との対話・協力も進めた。デタント期に設立された全欧安全保障協力会議(CSCE)は1995年に欧州安全保障協力機構(OSCE)へ改称された。東欧・旧ソ連諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会(NACC)が1991年に発足し、1997年には欧州・大西洋パートナーシップ理事会へ発展した。
冷戦終結後と旧東欧諸国の加盟NATO本部にはベルリンの壁の一部が展示されている。
1989年の米ソ首脳によるマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧革命と1991年のワルシャワ条約機構解体、ソ連崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。
ユーゴスラビア解体の過程で1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事介入と国連による停戦監視に参加した。続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった空爆(アライド・フォース作戦)を行い、アメリカ空軍主導で行われた印象を国際社会に与えた。
一方で、ソ連の崩壊によりソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いで欧州連合(EU)およびNATOへの加盟を申請するようになり、西側の外交的勝利を象徴するものとなった。一方これらの諸国の加盟によって問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連の支配を逃れてNATO加盟を希望する一方、ソ連崩壊により誕生した旧ソ連中枢国家だったロシアは「NATOの東方拡大」と称してこれに警戒・反発を表明しているためである。1991年にソ連も参加して発効されたドイツ最終規定条約では西ドイツを継承する統一ドイツにNATO加盟国としての地位を認める一方で旧東ドイツ領域での外国軍部隊駐留を禁止することが規定された。1994年、「平和のためのパートナーシップ」(PfP)によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展。1997年5月にNATOとロシアはNATO・ロシア基本文書に署名し、NATOは新加盟国に対して外国軍部隊について大規模な部隊を恒久的配備しないとした。そのため、新加盟国ではNATO加盟国の外国軍部隊は短期間でローテーションで駐留する方法を取っている。1999年に3か国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年に7か国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニア)、2009年に2か国(アルバニアと旧ユーゴスラビア連邦のクロアチア)が加盟。旧ユーゴスラビア連邦からは2017年にモンテネグロが、2020年には北マケドニア[2]が続いた。
こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国はソ連以外の加盟国がすべてNATOに参加することになった。旧ソ連各国のうちバルト三国を除くロシア、ウクライナ、モルドバ、ジョージア、ベラルーシなどは加盟していないが、ロシアがウクライナ紛争などで見られるように、東欧・北欧諸国に対して威嚇や挑発を強めているため(「新冷戦」参照)、他の国々にもNATO加盟を模索する動きがある。政府がNATO加盟を希望する国としてはウクライナ[21]、ジョージア[22]がある。
フィンランドやスウェーデンはNATO加盟を求める世論が台頭していた[23][24][25][26][27]ことを背景に、ロシアがウクライナに侵攻したことを受け、2022年5月18日にNATO加盟を申請し[28]、同年7月5日にブリュッセルで加盟議定書に署名した[29]。