北原佐和子
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2020年12月、自身のYouTubeで「さわちゃんねる【北原佐和子】」を開設した[16]
人物

趣味(デビュー当時):高校野球の観戦
[注 1]

趣味:乗馬[3]、陶芸、登山、映画鑑賞、ドライブ

特技:日舞三味線[3]陶芸ソフトボール

上記の日舞、三味線、乗馬を始めたきっかけは、20代半ばのころに芸能活動をするうえで将来に不安を感じ、「空いた時間を使って何か習ってみよう」と思ったことから[3]

右目尻の下に泣きぼくろがあり、デビュー当時からのチャームポイントになっている。

ソロ歌手として当初、1982年3月25日にデビューする予定だったが、北原の誕生日である3月19日に前倒しされた[4]

デビューわずか1ヶ月当時、CMオファー26社という驚異的な数字を記録[4]

レコードデビュー時にはレコード会社19社がオファーを出し、1億円という高額契約になった[18]

東京赤坂の日枝神社を信仰していて、たびたび参拝に訪れている。

24歳の時、友達の紹介で知り合った男性と結婚したが、30歳の時に離婚[4]。現在は独身である。

舞台『水戸黄門』で初めて舞台作品を経験したが、これがきっかけで胃潰瘍になり、40代前半まで症状が続いたという[3]

27歳の時、自らの意志でヌード写真集を発表している[注 2]

エピソード
子供時代

子供の頃から親に「将来は看護師か教育者か警察官を選びなさい」と言われて育てられた[4]。年子の妹がおり、当時は親戚が集まると、妹は陽気で皆の前で歌ったり踊ったりしたの対し、本人は親の後ろに隠れるとても内気な性格だった[4]。思春期を迎えた頃、毎日決まった時間に起きて同じ時間に通学する生活に疑問を感じ始めた。変化を求めて雑誌の読者コーナーに自分の写真を送ったところ、月刊誌『mcシスター』に1ページ分を使って大きく掲載された[4]

当時新参のモデル事務所だったオスカープロモーションから声がかかり、3か月ほどモデルのレッスンを受けた[4]。ある日、友達とたまたま遊びに行った男子校の学園祭で行われたコンテスト[注 3]に誘われるまま参加[4]。同コンテストでミス・ヤングジャンプに選ばれたのを機に、モデルの仕事や色々なオーディションの話が舞い込んだ[4]
芸能界の新人時代

モデル活動当時は私立の女子高に通っており、事務所に「学校が厳しいので水着の仕事はやれない」と伝えていたため、水着撮影をNGにしていた[3][4]。ある日銀行のキャンペーンモデルに選ばれ、ハワイでのポスター撮影のため空港に訪れた。するとマネジャーから突然、「今回は水着の仕事だから」と告げられて断りきれず撮影した[3]。帰国後、等身大の水着ポスターが銀行に貼られると学校に知られて“学校か、仕事か”と選択を迫られた[4]。これにより高校3年生の時に公立の定時制高校に転校し[4]、以後水着の仕事もするようになった[3]

アイドル歌手時代(1982年頃)は事務所の管理が厳しく、性別関係なく他のアイドルなどと極力接点を持たないよう北原のマネジャーにガードされていた[注 4]。また、同期アイドルたちより2学年ほど年上だったため、彼女たちと距離を感じていたという[3]

当時は歌番組に力を持つ他のアイドル事務所の歌手で出演枠が埋まり、新参のモデル事務所だったオスカーは北原の売出しに苦労したという[4]。このためレコードを出すたびに北原は週末に全国のレコード店をコツコツ回ってサイン会を開いたり、駅の地下街やデパートの屋上などの簡易ステージで歌った[4]。デビューから3年ほどアイドルとして活動したが歌手を辞めることを決意し、自らレコード会社に挨拶に出向いて歌手活動を終えた[4]

遡って1983年の月曜ワイド劇場枠の2時間ドラマ『女子少年院』(テレビ朝日系)に不良役で出演。乱闘シーンでは先頭を切って喧嘩するなどそれまでより懸命に役作りをしたことから、本作は女優転向のきっかけとなった[注 5]
介護職を始めたきっかけ

ある雨の日、車を運転中に体にマヒのある男性がタクシーを探しているのを見かけて彼の前で停車した[3]。勇気を出して「よろしかったらどうぞ乗ってください」と声をかけて彼の自宅近くまで送った[注 6]。このとき、「困っている人がいたら自然と力になれる自分になりたい。見て見ぬふりはしたくない」と思い始めた[3]

その後40代のころ実際に行動へ移すことを決意し、41歳ごろからホームヘルパー2級、介護福祉士、ケアマネジャーの資格をそれぞれ取得するようになった[3]。その後在宅診療にも同行したが、医師と看護師の会話は専門性が高すぎて理解できず、もどかしく思うと同時に介護医療分野にもっと関わりたいと思うようになった[3]。北原の悩む様子に気づいた医師から看護学校で学ぶことを勧められたことが、その後准看護師の資格取得につながった[3]
出演
テレビドラマ

先生は一年生 (1982年、日本テレビ)<デビュー作>

女かじき特急便 (1982年、日本テレビ)

あっけらかん (1982年、日本テレビ)

月曜ワイド劇場「女子少年院」(1983年、ANB

大江戸捜査網TX・Gカンパニー)

第619話「姫が消えた非情の囮作戦」(1983年) - 綾姫 ※松方弘樹版

第692話「娘スリ深川慕情」(1991年)※橋爪淳版

第703話「じゃじゃ馬勘当娘、涙の恩返し」(1992年)※橋爪淳版


月曜ドラマランドCX

ぐうたらママ」(1983年-1985年)

ザ・サムライ」(1986年)


暴れん坊将軍シリーズ(ANB・東映)

暴れん坊将軍II

第47話「天下御免のじゃじゃ馬馴らし」(1984年) - お染 役

第171話「謀叛人の娘」(1986年) - おみわ 役


暴れん坊将軍III

第39話「吉宗が怒った役人天国!」(1988年) - おたみ 役

第75話「痛快!天下を正す目安箱」(1989年) - お紺 役

第101話「新之助が愛した女」(1990年) - 喜和 役


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