北京政府(ペきんせいふ)とは、 中華民国臨時政府は、1911年の辛亥革命によって、1912年1月1日、南京において成立した。しかし、この時点では中国を代表する政府として国際的に承認されていた大清帝国が北京に存続していた。両者は宣統帝の退位、臨時大総統職の孫文から袁世凱への移譲、「臨時約法」遵守などで合意し、統一された。その後、袁世凱は中華民国の首都を南京から自らの勢力基盤である北京に移し、1913年に正式に大総統に就任した。これが北京政府のはじまりである。 袁世凱は勢力基盤いわゆる北洋軍閥の力を背景に中央集権的な統治を志向し、中央においては議会制民主主義を標榜する宋教仁が台頭するとこれを暗殺、地方においては従来わけられていなかった行政権と軍事権を分離させ清末以来土着化する傾向にあった地方勢力を中央政府の統制下に編成していった。これによって、革命の混乱に乗じて地方勢力に梃入れして中国の分割を図ろうとする列強の動き(中国分割論)を牽制した。 こうした専制に対して、1913年7月、江西の李烈鈞らが中心となって第二革命が起ったが、事前に袁世凱側がこの動きを察知していたこと、反袁勢力が分立し結集できなかったことなどから鎮圧され、結果的に袁世凱の力をより強めることになった。
1913年から1928年まで北京に存在した中華民国政府。正式な国号は「中華民國」。北洋政府(ほくようせいふ)とも言う。本項で記述。中華圏ではその政府を北洋政府と呼ばれることが一般的だが、民国政府(国民政府とは違う)という呼称も散見する。
台北に中央政府を置く中華民国に対し、北京を首都とする中華人民共和国を指す換喩。
袁世凱政権(1913年 - 1916年)