北マケドニア
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^ 憲法に規定される公用語はマケドニア語のみであるが、地方自治体においては、少数言語の話者が人口の2割を超える場合、その言語は自治体においてマケドニア語とともに公用語の地位を認められる。これによって、自治体によってはマケドニア語以外の言語が公用語となっている。また、このうちアルバニア語は、国家レベルの準公用語ともされている。

北マケドニア共和国(きたマケドニアきょうわこく、マケドニア語: Република Северна Македони?а、アルバニア語: Republika e Maqedonise se Veriut)、通称北マケドニア(マケドニア語: Северна Македони?а、アルバニア語: Maqedonia e Veriut)は、東南ヨーロッパバルカン半島南部に1991年に建国された共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国であった。南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を他国に囲まれた内陸国である。
概要

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出典検索?: "北マケドニア" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年4月)

北マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の内の北西部にあり、現在ではマケドニア地域全体の約4割を占めている。残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属している。また歴史上、北マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。これらの理由から、1991年の独立当初の国名(マケドニア共和国)をめぐり、ギリシャとの間で後述するような国名論争(マケドニア呼称問題)が生じた。

憲法上の正式名称は、Република Северна Македони?а (マケドニア語ラテン文字転写は、Republika Severna Makedonija。通称は、Северна Македони?а(Severna Makedonija)。準公用語アルバニア語での表記はRepublika e Maqedonise se Veriut、通称Maqedonia e Veriutである。

公式の英語表記名は、Republic of North Macedonia。略称、North Macedonia。

日本語での表記は、北マケドニアもしくは北マケドニア共和国。2019年2月まではマケドニア、もしくはマケドニア共和国であったが、前者では地域としてのマケドニアと区別がつかない。また日本は国連と同様にマケドニア旧ユーゴスラビア共和国で国家承認を行っており、行政公文書などにおける日本語の表記は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」となっていたが、2020年4月1日に「北マケドニア」に変更された[4]。かつて、日本国外務省では単に「マケドニア」あるいは「マケドニア共和国」と簡略化して表記する部分も部分的に見られた。この他に日本語でのリリースを発表する機関として欧州連合(在日欧州委員会代表部)があるが、欧州連合(EU)の加盟国であるギリシャがマケドニア共和国の正式呼称を認めていないため、通常「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」で言及された。「マケドニア名称論争」および「統一マケドニア」も参照マケドニアと呼ばれる地域 .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  エーゲ・マケドニア   北マケドニア共和国 灰色線内:地理上のマケドニア地方
赤色線内:古代マケドニア王国(大凡)

アレクサンドロス大王で有名な古代マケドニア王国の領地が自国にあったギリシャは、「本来のマケドニアはギリシャである」と主張している[5]。実際、マケドニアとは北マケドニア共和国のほかにギリシャ(ギリシャ領マケドニア)やブルガリア(ピリン・マケドニア)、アルバニア(マラ・プレスパおよびゴロ・ブルド)のそれぞれ一部にもまたがる地域の名称である。特にギリシャ領はマケドニア地方の5割ほどを占めており、北マケドニア共和国の領土は全体の4割に満たない事に加え、アイガイ(現ヴェルギナ)やペラテッサロニキなどの古代マケドニア王国当時の主要都市の多くも現ギリシャ領である。このように、歴史的な古代マケドニアとの継承性、および地理的にマケドニア地方全体の4割に満たない北マケドニア共和国が「マケドニア(共和国)」と名乗ることへの警戒感から、この国をマケドニアの名称で呼ぶことを嫌い、ヴァルダルスコピエなどと地名を使って呼んだ。同時に、1990年代よりマケドニア共和国の国号を改めるよう要求した。これに対してマケドニア共和国の側は、共和国にはギリシャ領マケドニアへの領土的野心がないことを説明し、国名を自国で決める権利は認められるべきであると主張した。

北マケドニアがマケドニアという国名で独立した1991年以降、ギリシャはマケドニアに経済制裁を科し、マケドニアという国号、古代マケドニアと類似したヴェルギナの星を用いた国旗、「周辺国に住むマケドニア人の権利を擁護する」という内政干渉的な憲法条項の3つを改めるよう圧力を加えた。このため、マケドニアは国際的な暫定呼称を変え、国旗をヴェルギナの星とは無関係のものに改め、ギリシャ領マケドニアへの領土的野心を明確に否定する憲法改正を行い、1995年に経済制裁を解除された。


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