なお北ドイツ連邦は連邦国家(独:Bundesstaat)ではなく、領邦や自由都市の緩やかな連合体すなわち国家連合 (独:Staatenbund)であるとし、北ドイツ同盟と訳す考えもある[1]。 普墺戦争に勝利したプロイセン王国は、オーストリアの主導するドイツ連邦を解体し、ドイツ関税同盟によってかねてから結びつきの強かったドイツ北部諸邦と連合する連邦国家を成立させた。連邦主席(de:Bundesprasidium
背景および制度
連邦政府の組織としては、諸邦の代表による連邦参議院と男子普通・直接選挙による連邦議会(ドイツ語版)があり、連邦議会は立法権および予算審議権を有したが、内閣は存在せず、事実上主席と宰相が認めない限り何一つ決定できない仕組みだった。北ドイツ連邦の存続期間を通して、連邦主席はヴィルヘルム1世、連邦宰相はビスマルクであった。
加盟諸邦
プロイセン王国
ザクセン王国
メクレンブルク=シュヴェリーン大公国
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国
オルデンブルク大公国
ブラウンシュヴァイク公国
ザクセン=マイニンゲン公国
ザクセン=アルテンブルク公国
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国
アンハルト公国
シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国
シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国
シャウムブルク=リッペ侯国
リッペ侯国
ヴァルデック侯国
ロイス=グライツ侯国
ロイス=ゲーラ侯国
自由ハンザ都市リューベック
自由ハンザ都市ブレーメン
自由ハンザ都市ハンブルク
ヘッセン大公国、現ヘッセン州のマイン川以北領地
北ドイツ連邦に加盟しなかった他の主なドイツ諸邦
バイエルン王国
ヴュルテンベルク王国
バーデン大公国
ヘッセン大公国の南部領地
脚注^ 「北ドイツ同盟」を用いる例に、栗城壽夫『一九世紀ドイツ憲法理論の研究』信山社 がある。
関連項目
北ドイツ連邦憲法