化学元素
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ラヴォアジエは化合物の性質から金属元素・土類元素[注釈 4]・非金属元素の3種類の区分を提案した。さらに測定精度が高まった原子量を重視した並びから規則性(周期律)を見出そうとする試みも提案された。そして、1869年にドミトリ・メンデレーエフが提案した周期表は改良を重ねて原子価を重視した特長で並べられ、当時未発見の元素を予言するなど洗練された系統表として広く認められるようになった[29]
元素の正体元素の解明に様々な貢献を果たし、「原子物理学の父」と呼ばれるアーネスト・ラザフォード。詳細は「核分裂反応」および「自発核分裂」を参照

19世紀には各元素の発見が相次ぎ、それぞれの特徴が把握され蓄積されたが、このような性質がどのような原理で生じるかは分かっていなかった。そして、各元素は不変だと考えられていた。しかし19世紀末から20世紀初頭にかけ、放射性元素放射能が発見され、アルファ崩壊が確認された。これによって、一部の元素は原子量を低くする方向へ分裂する事が判明した[31]最新の原子論で描くヘリウム。この構造について詳細は原子を参照。詳細は「原子」を参照

アルファ崩壊発見などで業績を残したアーネスト・ラザフォード原子核を発見し、1911年にラザフォードの原子模型を提唱した。これにニールス・ボーアは量子仮説を加えてボーアの原子模型を発表した。これによって基本的な原子の構造や周期律が生じる理由などが説明され、元素は原子という構造を持つ物質として知られるようになり[32]、その研究は化学から物理学素粒子物理学分野へと発展していった。詳細は「原子核融合」を参照

1911年、ラザフォードは窒素にアルファ線を放射して水素イオンとその時は検出されなかったが酸素を作り出し、低原子量の元素を転換させることに成功した。1920年代からは様々な元素を人工的に変える実験が行われ、粒子加速器も発明された。これらから、低原子量の元素変換には高いエネルギーが必要になることが判明してきた。1932年には以前から存在が予測されていた中性子が発見され、これを用いた実験を通じて半減期が短く基本的に地球上には存在しない人工放射性元素超ウラン元素が作られるようになった。さらにこの実験を通じて1938年には核分裂が発見され、人類は原子力エネルギーを手にすることになった[31]
主な元素の発見

1766年 - 水素キャヴェンディッシュ

1772年 - 酸素シェーレ

1774年 - 塩素バリウムマンガン(シェーレ)

1778年 - モリブデン(シェーレ)

1781年 - タングステン(シェーレ)

1782年 - テルル(E.J.ミュラー)

1817年 - セレン(イェンス・ベルセリウス)

1824年 - ジルコニウム(ベルセリウス)

1828年 - タンタル(ベルセリウス)

1860年 - セシウムブンゼン

1861年 - ルビジウム(ブンゼン)

1894年 - アルゴンレイリー卿ラムゼー


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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