インドの極微論は六派哲学や宗教に引き継がれていった。ニヤーヤ学派・ヴァイシェーシカ学派が4つの元素に対応する4つの極微(原子)を想定したのに対し、六師外道の一人マハーヴィーラが創始したジャイナ教では初期の頃、極微に種類を設けなかったと考えられる。しかしジャイナ教もやがて「蝕・味・香・色」という性質と、「冷湿・冷乾・熱湿・熱乾」という現れ方があると考えるようになり、複数の極微を想定するようになった[10]。
仏教においても万物の構成要素として「地・水・火・風」を「四大」[15]または「四大種」[16]という考え方がある。ただしこれらにはそれぞれに「形・象徴・色・機能」といった付帯的な特徴を持ち、様々な現象(rupa、「色」)の根本という抽象的解釈で語られる。この概念は拡大して「空(くう)」を加えた五大(マウアラカキヤ)、さらに「識」を加えた六大へと発展し、観念的・哲学的な思想へと意義を変化させた。これらは中国の五行思想ともども近代的な物質要素の科学には繋がらなかった[7]。 西アジアやヨーロッパでも古代エジプトやメソポタミアなど高度な古代文明が発達したが、これらからは物質の根源に関わる記録が発見されておらず、唯一古代ギリシアにおける思想が伝わっており、この考え方は長くヨーロッパで受け入れられた[7]。紀元前6?4世紀の哲学者たちは、万物のあらゆる生成と変化の根源にある原理を「アルケー」などと呼び、これらが一体何なのかを論じた[17]。タレスは、「水」に根元「要素」というよりも根元「性質」を重視した主張をした。 タレスは、氷や水蒸気などの相を持ち、硬い岩も風化させる「水」がアルケーだと論じた[18]。これは正しくは、水のような流体性を持つものが根本物質であるという事を指している[19]。タレスの孫弟子に当る[20]アナクシメネスはこの考えをさらに深め、アルケーは「空気」だと説き、これが濃くなれば風や雲、やがて水や岩などに変化すると述べた。ただしアナクシメネスの主張は、タレスと同じく流体性が根本にあると見なし、生物の呼吸などを含めアルケーを的確に表すものとして空気を示している[20]。同時代には、根源を火として「万物は流転する」と述べ、火が変化して空気や水または土などを生成すると述べる[10]ヘラクレイトスも現れた[7]。
古代ギリシア