包金銀
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

一分銀および一朱銀では二十五両包が一般的であった[1]

この他に有力な両替商が便宜のために同様の包装・封印を行って一般に流通させる場合があり、これを仲間包あるいは通包と呼んだ。三井家に代表される幕府御用商級の両替商が包装・封印した仲間包(通包)は社会的信用も高く、民間では幕府の包金銀と同様に扱われ、密封のまま流通されていた。また中小の両替商(銭両替)が包封した町包も多数作成された。現存する包金銀の資料は大部分が町包となっており、仲間包・常是包は僅かに現存しているが、後藤包は現存が確認されていない。

秤量銀貨による包銀には、丁銀を含むものの他、豆板銀のみによる「豆板包」もあり、また包金銀と同様に藩札を包んだ「藩札包」もあった[2]

「御仕置例類集」「長崎犯科帳」などにみえる判例によれば、包金銀に銅片などを入れた偽物は、「御定書」の偽金銀作りと同罪とされている[2]

包金銀に類似したものとして、大坂では、正貨節約のため、商人間の取引に際して、両替商が正貨との兌換を確約した上で銅を包んだ「通用金」が決済手段として使用されていた。
入目

幕府の御金蔵に収納される上納銀あるいは献上銀の包銀については、本目の他に入目(いりめ)を掛け足しておく定めであった。すなわち五百目包には500匁の本目の他に1匁の入目を加え、一枚包には43匁の本目の他に0.2匁の入目を加える慣わしであった[3]。これは支払いのために包銀を切解き掛分ける際、掛不足を生じないように入目を入れておく定めであった。
関連項目

江戸時代の三貨制度

小判

丁銀

小玉銀

古金銀

札束包装硬貨(棒金) - 現代における類似の形態。

参考文献^ 三井高維編 『新稿 両替年代記関鍵 巻二考証篇』 岩波書店1933年
^ a b 日本専門図書出版『カラー版 日本通貨図鑑』
^ 田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:5624 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef