動物園
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イギリスでは1828年に民間の研究組織である動物学協会によってロンドン動物園が設立され、リチャード・オーウェンチャールズ・ダーウィンなど多くの研究者が研究に利用するなどセンター的役割を果たしてきた[1]。ロンドン動物園は動物を可能な限り自然に近い状態で展示することをコンセプトとしている[8]。ロンドン動物園では1853年に世界初の水族館となるフィッシュハウスをオープンし、1881年には昆虫飼育施設を公開した[9]
ドイツ[ソースを編集]

ドイツの動物園では1990年代に経営組織の改編が進み、1999年にはチューリッヒ動物園が協会形式から公益株式会社(日本に存在しない会社形態)に移行したほか、1994年にはハノーファー動物園が市立有限会社に移行した[9]

ドイツでは動物園に水族展示施設や昆虫展示施設を併設していることも多い[9]。ベルリン動物園は1913年に水族館を公開したが、この建物は1階に淡水や海水にすむ生物、2階に両生爬虫類のテラリウム、3階に昆虫の施設を置き、同一施設に水族と両生爬虫類と昆虫をあわせて展示する形態はドイツ語圏の動物園にも普及した[9]。また、ドイツ語圏の動物園ではアスレチックやすべり台などの無料遊具を併設していることも多い[9]

ドイツ語圏の動物園は社団法人ドイツ動物園連盟(VdZ)を構成し、欧州動物園水族館協会(EAZA)や世界動物園水族館協会(WAZA)を主導する立場にある[9]。社団法人ドイツ動物園連盟 VdZ (Verband der Zoologischen Garten e.V.)は世界最古の動物園協会とされ、1887年に社団法人ドイツ動物園長連盟 VDZ (Verband Deutscher Zoodirekton e.V.)として創設され(2014年に名称変更)、ドイツのほかスイス、 オーストリアなどの動物園も参加している[9]。このほかにドイツ動物園連盟とは別に比較的小さい動物園が加盟する社団法人ドイツ動物園協会 DTG(Deutsche Tierpark-Gesellschaft e.V.)がある[9]
アメリカ[ソースを編集]

アメリカ合衆国では1865年セントラルパークの一角に動物園が開設されてはいたが、1874年にできたフィラデルフィア動物園がアメリカ最初の動物園と称されている[10]。アメリカにはトラやライオンなどの保護された動物だけで経営されている公益慈善団体による動物園もある[9]

米国では動物園、サーカス、観光牧場、一部の動物保護施設などは動物展示業者 (animal exhibitors) とされ、米国農務省(USDA)傘下の動植物検疫局APHIS(Animal and Plant Health Inspection Service)から許可を得る必要があり動物福祉法に基づく査察の対象となる[9]

アメリカ動物園協会(ZAA)には動物園の認証制度がある[9]。ただし、ZAA認証の動物園には、比較的狭い敷地でトラやライオン、クマなどを飼育する市役所直営の動物園があるなど問題点も指摘されており、ZAA認証の民営動物園には動物保護活動を行う全米人道協会(HSUS)から厳しく批判されている動物園もある[9]。一方、北米を中心とする動物園や水族館で組織される動物園水族館協会AZAには厳しい認証基準があるが、加盟施設は米国農務省(USDA)が認可する動物展示業者の1割にも満たないといわれている[9]

米国では入園料を無料とし、動物ショーや子供動物園、遊具などを別料金とする動物園が数多く存在する[9]。動物園に水族展示施設や昆虫展示施設を併設していることも多い[9]

平均して30ha以上の敷地面積を持つ動物園が多く、広大な展示場で多くの動物を飼育し、生息地を再現した展示方法が特徴である[11]
日本[ソースを編集]

法令上は博物館(場合によっては動物愛護管理法上、「第一種動物取扱業」)の一種とされる。上野動物園正門(1952年)

日本では江戸時代寛政年間に「孔雀茶屋」「鹿茶屋」など珍しい動物を飼育している施設があったが、主に茶代を利益とする店の宣伝目的であり、動物の収集を目的とするものではなかった[10]

日本の多くの動物園は20ha以下の敷地面積であることが多い[12]

日本最初の動物園は恩賜上野動物園で、上野に移転した博物館(後の東京国立博物館)の附属施設として1882年(明治15年)に開園した[1]。これより以前に福澤諭吉が著書の『西洋事情・初編』(1866年慶応2年))の中で「動物園には生きながら禽獣魚虫を養へり」と紹介している。動物園という呼称はZoological Gardensの訳で、これが初出という説がある(それまでは禽獣園と呼ばれていた)[13]

その後、全国の各地方都市に動物園が開園したが、太平洋戦争中にはほとんどの動物園が閉鎖状態となり[注 3]、戦後に徐々に再開されていく。1970年代まで教育施設としても子供連れを中心に親しまれ、またこの頃は移動動物園も多かった。だが1980年代以降は余暇活動の多様化や出生率の低下(少子化)等の理由によって入場者が減り、閉園に至る園も出た。

そうした環境下で行動展示等によって成功した例の一つに旭川市旭山動物園が挙げられている[注 4]

動物園の展示動物の餌となる野菜や果物は、農家が流通に乗らない規格外のものを卸す。ササや野草などの人間の食用ではない作物は動物園が専門に利用する業者から取り扱っている。また、来園者から果物や木の実を寄付されるパターンもある[14]

日本の展示飼育の形態は、長らく人と動物が同じ空間で関わる「直接飼育法」であり、欧米で確立した後述する動物福祉に着目した「準間接飼育法」が採用されるようになるのは、90年代に入ってからである[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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