1981年5月、パチェコは研究所の内部で行われていることを直接確かめるため霊長類研究所で働き始めた[20]。ターブはサルの指や手、腕や足につながる知覚神経節を切断し、サルの感覚を失わせていた。これは「求心路遮断」と呼ばれ、脊柱全体に「求心路遮断」を実施されたサルもいた。その後拘束や電気ショックを行い、遮断された部位を動かさせるために水や食糧を与えなかった。この研究は医学の発展につながり、神経の可塑性[注釈 1]の発見や、脳卒中で倒れた患者のリハビリに使われる CI療法につながっている[21][22]。
パチェコは夜中に研究所に無断侵入し、サルの不衛生な飼育環境を写真に収めた[23]。この写真を渡された警察は研究所に踏み込みターブを逮捕した。ターブは動物虐待で6件の有罪判決を受け、これは動物研究者として初の有罪判決であったが、有罪判決は控訴審で覆されている[9]。この事件は1976年にニューヨークのアメリカ自然史博物館で行われたヘンリー・スパイラの猫の動物実験に反対するキャンペーンや、1980年4月のドレイズ試験反対キャンペーンに続くものだった[24]。この事件とこれらのキャンペーンが要因となり、米国議会で動物の権利について審議されるようになる[22]。
サルの保護を行う権利は10年間争われ、両者ともに相手を嘘吐きで歪んでいると非難し、ワシントン・ポストはひどい泥沼の争いと書いた[25]。この間にPETAは全国、全世界的な運動となっていき、1991年2月までに35万人のメンバーと100人以上の雇われたスタッフ、そして年間700万ドル以上の予算を持つようになった[25]。
団体「動物の権利」も参照PETA のメディア担当シニア・バイス・プレジデント、ダン・マシューズ
PETAは動物の権利を主張する団体であり、種差別と動物を財産と見なすことを拒絶している。そしていかなる形態でも動物を使用することに反対している。例えば、食物、衣類、娯楽、研究の対象などである[26]。ニューカークのよく引用される発言として「空腹や痛み、渇きを感じるのは、ネズミでもブタでも犬でも少年でも同じです」がある[8]。
PETA はヴィーガンを推進しレシピの公開などを行っている。工場畜産や屠殺場の改革、特定の企業や慣行に対するメディアキャンペーンも展開している。サーカスや動物園にいた動物たちの安全な住処を見つけるのを手伝い、子供たちに動物の権利についての教育を行っている[27]。また、PETA はプロジー・アワード(Proggy Award)という賞を設け、毎年動物福祉に貢献してきた個人や団体を表彰している[28]。
900万人の会員やサポーターがおり[6]、2013年には3500万ドル超の寄付金を集めている[1]。2012年では資金の80%以上を運動の費用に充てており、16%近くを資金調達のための活動費に充てている[29][30]。メリーランド州のロックビルに所在したが、1996年にバージニア州のノーフォークに移っている[31]。2006年にはロサンゼルス支部を開設している[31]。