勅使は天皇の命を伝える使者のことで、特に伊勢神宮やその他の諸大社に遣わされる祭使(奉幣使)を称した[3]。毎年決まった時期に奉幣のために派遣される勅使を例幣使といい、伊勢神宮には伊勢例幣使、日光東照宮には日光例幣使が遣わされた。また、伊勢神宮には国家の重大事に際して、三位および参議以上の公卿が差遣されることがあり、これを公卿勅使と称した[4]。
主に鎌倉幕府成立以降、勅使は将軍宣下や勅令の伝達を主として担った。江戸幕府では勅使参向に際し、外様大名の中から勅使や院使の饗応役を任じてこれを接遇した。
勅使は天皇の代理としての資格を以って宣旨を伝達することから、勅使を迎える者が、たとえ官位において勅使よりも上位であったとしても、天皇への臣礼同様、敬意を払うこととされた。江戸時代に将軍宣下が江戸城内で行われるようになると、勅使は下座に坐し、将軍が上座に坐すという変則が常態化した[5]。しかし、これも幕末になると尊王思想の浸透により、公武の権威が再び逆転、勅使が上座、将軍が下座に改められた[6]。 勅使を受け入れる施設や宿場、寺社には勅使専用の部屋や門を造り、現在でも勅使の間、勅使門 大神神社の勅使殿、泉涌寺の勅使門などがある。 現在は、毎年正月に東寺(教王護国寺)で執り行われる「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」[7]や、毎年4月4日より1週間執り行う延暦寺での「御修法大法(みしほたいほう)」[8]、正倉院の「開封の儀」のほか、皇族男子が婚約した際、一般の結納にあたり、婚約相手の家で執り行われる「納采の儀」などに、モーニングコートにシルクハットで威儀を正した勅使が差遣される。 また、皇族が薨去した際、一般の葬儀にあたる「斂葬の儀」などの一連の儀式には、皇室の慣例により天皇、皇后は出御せず、勅使が差遣される[9]。「国家に功労のあった者」の葬儀にも、祭粢料を下賜するために勅使が差遣される[10]。 伊勢神宮や勅祭社、天皇陵には、衣冠束帯姿の勅使が天皇からの幣帛を携えて差遣される。明治維新直後の一時期は、洋装の大礼服を用いたが、その後は旧来の衣冠に戻されている[11]。なお、靖国神社への天皇の親拝は、1975年(昭和50年)以来行われていないものの、現在も、毎年春秋の例大祭への勅使差遣は続けられ、御幣物(ごへいもつ)と呼ばれる供物を奉納し、御祭文が奏上されている[12]。
勅使殿・勅使門
具体例
泉涌寺勅使門
大覚寺勅使門
仁和寺勅使門
現在の勅使
^ “安倍氏国葬 両陛下、使者ご派遣 秋篠宮ご夫妻ご参列”