労働する能力を持つ者を労働力(Labor Force)とよぶ。労働力において最大の割合を占めるのは賃労働をなす雇用者であり、EU諸国では75%以上が雇用者となっている[5][6]。
資本主義社会では、労働は倫理的性格の活動ではなく、労働者の生存を維持するために止むを得ず行われる苦痛に満ちたもの、と考えられるようになった[7]。マルクス主義においては「資本主義社会では、生産手段を持たない多くの人々(=労働者階級)は自らの労働力を商品として売らざるを得ず、生産過程に投入されて剰余価値を生み出すため生産手段の所有者(=資本家階級)に搾取されることになる」と説明されるようになった[3]。(→#歴史)
現在、国際労働機関では、望ましい労働の形としてディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目標に挙げている。
未開社会(現代文明の感化を受けていない社会)の人々も、昔も今も、文明化された現代人と同様に生産活動を行っている[4]。生産形態が狩猟採集であれ、農耕であれ、人々は生活手段を獲得して、それを共同体のメンバーに分配する[4]。未開人の生産活動と、現代人の「労働」とは、見かけは同一のようではあるが、その生産活動を実際に生きて解釈するしかたというのは、現代人のそれとは異なっている[4]。未開社会の生産当事者にとっては、生産活動は宗教・芸術・倫理を生きているのであって、決して文明人が言うところの「労働」をしているのではない[4]。 ヘシオドスの文献に書かれているように、農業活動は同時に宗教的行為であり、また共同体の規範が重層した倫理であった[4]。近代的な意味での「労働」ではなかった[4]。 また、古代ギリシアのポリスで活動していた職人らの生産活動は、テクネーやポイエーシスと呼ばれていたのだが、それは事物の本性が現れる事態に立ち会う行為、であって、持続的有用物を製作し、それを通じ閉じた宇宙の中で自己の位置を確認し、またそれを他人から承認されることであった[4]。つまり現代人が言うような「道具によって自然を征服する労働」ではなかったのである[4]。 旧約聖書の一書、創世記第3章19節では労働は神がアダムに科した罰である、とされた[8][9]、と説明されることもある。第3章19節:(省略)あなたが大地に戻るまで、あなたは顔に汗して、食物を得ることになろう。(以下略)[9]「労働懲罰説」も参照 プロテスタントは労働そのものに価値を認める天職の概念を見出した。この立場では、節欲して消費を抑えて投資することが推奨される。このようなプロテスタンティズムの倫理こそが史的システムとしての資本主義を可能にしたと考えた者にマックス・ウェーバーがいる。ただ、スイスの宗教改革者達の意見によれば、キリスト教宗教改革(16世紀(中世末期))時、ローマ教会の「むやみやたらに施しを与えるという見せかけの慈善を認めていた」ことに対抗するために「真のキリスト教徒は勤勉と倹約の徳を」と強く主張しなければならなかった背景があったという[10]。ヨーロッパの国家はその影響により、「労働は神聖なもの」「働くことは神のご意志」とされていて、労働しない者は神や国家に反逆するもの(国家反逆)とされていた。たとえばフランスでは1656年に「一般施療院令」とその強化令が発せられ、労働をしない者を癩(らい)施療院だった建物を転用して収容した[11]。 主流派経済学では、労働は家計(労働供給側)における非効用として捉えられる。この立場では、労働は節約されるべき費用であるにすぎない。反対に余暇は効用として捉えられているが、これは主として個人的な私生活における娯楽を想定したもので、古代ギリシアにおける公共生活に携わるための閑暇とは異なるものである。 労働価値説に基づくマルクス経済学では、労働そのもの・労働手段・労働対象の各々は労働過程を構成する。この労働過程は、人間と自然との間の物質代謝の一般的な条件(マルクス)であり、自然を変化させて生活手段を作り出すばかりでなく、自分自身の潜在的な力をも発展させる。いわば道具を作る動物a tool-making animal(フランクリン)として人間を捉えるこの立場からは、労働手段の使用こそが人間の労働の本質であって、人間を動物から区別するものは労働である(しかし、現実には理論的に動物と人間は区別できない。人間は動物の部分集合なのである。)。労働行為は超歴史的なものとされ、これがいかに社会的制約を受けるかという視点から歴史哲学にも連結する。また私的な労働は、その成果である生産物が商品として交換されて社会的労働となることによってはじめて、社会的分業の一部となる。またラテン語のalienato(他人のものにする)に由来する疎外された労働が語られる。 日本において「労働法」とは、個々の法律の名称ではなく、労働事件の最高裁判所裁判例等における法律判断を含めた、全体としての法体系を指す。最高法規である日本国憲法においては、労働基本権、労働運動、「勤労の義務、権利」などの概念や規定が記されている。これを受け、労働基準法、労働組合法、労働関係調整法、男女雇用機会均等法、最低賃金法、労働安全衛生法、労働契約法等諸種の法令が施行されている。詳細は「労働法#日本」を参照 法律により労働者の定義は異なるが、大別すると労働基準法によるものと、労働組合法によるものとに分けられる。例えば、労働基準法では失業者や求職者 労働者はその勤務態様によって、次の3つの区分けされる。
歴史
未開社会
古代ギリシア
旧約聖書
プロテスタンティズム
主流派経済学
マルクス経済学
日本の法律
法律上の労働者の定義
奉仕者日本国憲法第15条において、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とし、公務員が奉仕者としての立場にあることを明確にしている。労働基準法上は公務員にも同法が適用される建前であるが(労働基準法第112条)、別途、国家公務員法、地方公務員法等で労働基準法の適用除外を定めている。「労働基本権#日本の公務員の労働基本権」も参照
未組織労働者労働組合に参加していない労働者。労働組合の組織率は年々低下を続けていて、未組織労働者の労働条件をどう確保していくかが問題となっている。
雇用形態による区別
企業に直接雇用される者であるか、そうでない(間接雇用)者か。
契約期間が無期(期間の定めのない労働契約)であるか、有期(期間の定めのある労働契約)であるか。
各企業の就業規則て定める所定労働時間の上限(フルタイム)まで労働する者か、上限に満たない(パートタイム)者であるか。
Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef