労働
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からだを使って働くこと[2]
概要

人間自然との関係にかかわるある種の過程[3]、人間が自身の行為によって、自然との関係を統制し、価値ある対象を形成する過程を「労働」と呼ぶ[3]

人間は古今東西、太古から現代にいたるまで、どの地域でも、何らかの生産活動により生きてきた[4]。そうした生産活動を「労働」と解釈するようになったのは、近代以降である[4]

生産活動は、いつの時代でも、何らかの表象体系(意味づけの体系)と関わりがある[4]。人間が行っている現実の生産行為とそれを包括する表象とはバラバラではなく、一体として存在する[4]。言い換えると、何らかの生産活動があれば、それを解釈し表現する言葉が伴うことになり、こうした言葉には特定の歴史世界像世界観)が織り込まれていると考えられている[4]。“労働について語る”ということは、言葉で織り成された労働表象を語ることでもある。人間が自然との間に、生産活動を通しつつ関係を持つということは、こうした表象に端的に現れているような、ある時代特有の世界解釈を身をもって生きることでもある[4]。(→#歴史

労働する能力を持つ者を労働力(Labor Force)とよぶ。労働力において最大の割合を占めるのは賃労働をなす雇用者であり、EU諸国では75%以上が雇用者となっている[5][6]

資本主義社会では、労働は倫理的性格の活動ではなく、労働者の生存を維持するために止むを得ず行われる苦痛に満ちたもの、と考えられるようになった[7]マルクス主義においては「資本主義社会では、生産手段を持たない多くの人々(=労働者階級)は自らの労働力商品として売らざるを得ず、生産過程に投入されて剰余価値を生み出すため生産手段の所有者(=資本家階級)に搾取されることになる」と説明されるようになった[3]。(→#歴史

現在、国際労働機関では、望ましい労働の形としてディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目標に挙げている。



歴史
未開社会

未開社会(現代文明の感化を受けていない社会)の人々も、昔も今も、文明化された現代人と同様に生産活動を行っている[4]。生産形態が狩猟採集であれ、農耕であれ、人々は生活手段を獲得して、それを共同体のメンバーに分配する[4]。未開人の生産活動と、現代人の「労働」とは、見かけは同一のようではあるが、その生産活動を実際に生きて解釈するしかたというのは、現代人のそれとは異なっている[4]。未開社会の生産当事者にとっては、生産活動は宗教芸術倫理を生きているのであって、決して文明人が言うところの「労働」をしているのではない[4]
古代ギリシア

ヘシオドスの文献に書かれているように、農業活動は同時に宗教的行為であり、また共同体の規範が重層した倫理であった[4]。近代的な意味での「労働」ではなかった[4]

また、古代ギリシアのポリスで活動していた職人らの生産活動は、テクネーやポイエーシスと呼ばれていたのだが、それは事物の本性が現れる事態に立ち会う行為、であって、持続的有用物を製作し、それを通じ閉じた宇宙の中で自己の位置を確認し、またそれを他人から承認されることであった[4]。つまり現代人が言うような「道具によって自然を征服する労働」ではなかったのである[4]
旧約聖書

旧約聖書の一書、創世記第3章19節では労働はアダムに科したである、とされた[8][9]、と説明されることもある。第3章19節:(省略)あなたが大地に戻るまで、あなたは顔に汗して、食物を得ることになろう。(以下略)[9]労働懲罰説」も参照
プロテスタンティズム

プロテスタントは労働そのものに価値を認める天職の概念を見出した。この立場では、節欲して消費を抑えて投資することが推奨される。このようなプロテスタンティズムの倫理こそが史的システムとしての資本主義を可能にしたと考えた者にマックス・ウェーバーがいる。ただ、スイスの宗教改革者達の意見によれば、キリスト教宗教改革16世紀中世末期))時、ローマ教会の「むやみやたらに施しを与えるという見せかけの慈善を認めていた」ことに対抗するために「真のキリスト教徒は勤勉と倹約の徳を」と強く主張しなければならなかった背景があったという[10]ヨーロッパの国家はその影響により、「労働は神聖なもの」「働くことは神のご意志」とされていて、労働しない者は国家に反逆するもの(国家反逆)とされていた。たとえばフランスでは1656年に「一般施療院令」とその強化令が発せられ、労働をしない者を(らい)施療院だった建物を転用して収容した[11]
主流派経済学

主流派経済学では、労働は家計(労働供給側)における非効用として捉えられる。この立場では、労働は節約されるべき費用であるにすぎない。反対に余暇は効用として捉えられているが、これは主として個人的な私生活における娯楽を想定したもので、古代ギリシアにおける公共生活に携わるための閑暇とは異なるものである。
マルクス経済学

労働価値説に基づくマルクス経済学では、労働そのもの・労働手段・労働対象の各々は労働過程を構成する。この労働過程は、人間と自然との間の物質代謝の一般的な条件(マルクス)であり、自然を変化させて生活手段を作り出すばかりでなく、自分自身の潜在的な力をも発展させる。いわば道具を作る動物a tool-making animal(フランクリン)として人間を捉えるこの立場からは、労働手段の使用こそが人間の労働の本質であって、人間を動物から区別するものは労働である(しかし、現実には理論的に動物と人間は区別できない。人間は動物の部分集合なのである。)。労働行為は超歴史的なものとされ、これがいかに社会的制約を受けるかという視点から歴史哲学にも連結する。また私的な労働は、その成果である生産物が商品として交換されて社会的労働となることによってはじめて、社会的分業の一部となる。またラテン語のalienato(他人のものにする)に由来する疎外された労働が語られる。
日本の法律

日本において「労働法」とは、個々の法律の名称ではなく、労働事件の最高裁判所裁判例等における法律判断を含めた、全体としての法体系を指す。最高法規である日本国憲法においては、労働基本権労働運動、「勤労の義務、権利」などの概念や規定が記されている。これを受け、労働基準法労働組合法労働関係調整法男女雇用機会均等法最低賃金法労働安全衛生法労働契約法等諸種の法令が施行されている。詳細は「労働法#日本」を参照
法律上の労働者の定義

法律により労働者の定義は異なるが、大別すると労働基準法によるものと、労働組合法によるものとに分けられる。例えば、労働基準法では失業者や求職者は労働者に含まれないが、労働組合法および職業能力開発促進法では失業者も含まれる。


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