労働争議
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労働組合にはその労働運動における団結を維持する為の統制権が認められており、組合員以外の労働者の就業を妨害しない限りにおいて合法とされている。

これとは逆に使用者側が労働者を職場から閉め出す行為はロックアウトといわれる。

サボタージュ

サボタージュ: sabotage)とは、日本語として定着した「サボる」の元の言葉であり、フランス語が起源である。「サボ」「怠業」「同盟怠業」ともいわれる。サボタージュは「木靴(sabot)」から派生したフランス語で、元来は争議行為中に木靴で足踏みをして相手の声をかき消したり、工場や農場などで仕事をしたくない労働者が木靴を投げ込んで機械を故障させ修理が済むまでの操業停止を仕組んだこと。そこから今日のような「怠業」という意味が生まれた。

争議行為としてのサボタージュは労働者が仕事の能率を著しく、又は会社にダメージを与えていることが判る程度に落として会社に自分たちの労働条件の向上のメッセージを送ることである。このやり方は、争議権が認められていない公務員も制度上合法的に行うことが出来る。

消極的怠業(順法闘争、安全サボなど)は正当な争議行為だが、積極的怠業(不良品の故意の製造など)は不当な争議行為として刑事免責及び民事免責を受けられない。
順法闘争(遵法闘争)「en:Work-to-rule」も参照

業務に関わる法令や規則を厳守し、ときには法令や規則の過剰解釈によって業務能率を停滞させるサボタージュの一種である。主に国家公務員などが用いた戦術。スト実施側の理屈としては、法令・規則を遵守しているのであるから形式的には通常の業務行為であり、ストライキではないというもの。したがって「順法闘争」というのはスト側の呼び方であり、NHKなど主要マスコミは「いわゆる順法闘争」と言っていた。

日本では下記に示す旧日本国有鉄道(国鉄)の@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}過剰な拡大解釈による[要出典]順法闘争がよく知られている。むろんこれは極端な例であり、「強要されていた違法残業や過剰労働の徹底拒否」といったような「違法状態からの回復」という順法闘争もあることに留意。
日本国有鉄道の順法闘争「革命的祖国敗北主義」も参照

日本国有鉄道(国鉄)の労組職員(主に国労動労)がよく用いた順法闘争として「安全サボ」がある。列車運転時にカーブや駅など速度を落とす区間がある場合、規定で定められた以上に速度を落とし列車を遅らせてダイヤを乱し、上層部に労働条件向上を求めるメッセージを送るという方法である。[要出典]

例えば列車前方の線路上に鳥がいた場合、ほぼ必ず鳥は逃げるため通常はそのまま走行しても全く問題がない。ところが順法闘争では「線路上に障害物を発見したから」等という理由で列車を停止させるなどし、ダイヤを乱す行為が平然と行われた。[要出典]列車過密輸送により規程を守っていると列車が遅れてしまうというように違反が常態化している場合もあったが、規程で定められた上限よりも極端に速度を落としたり危険を感じたと称して停止したりすることもあった。[要出典]

この闘争の方法は、法的に明確に禁じられた行為とまでは言えないが、利用者の激しい感情的反発を買うことになる。ストライキによる列車運休ならば通勤・通学を完全に諦める乗客が多いが、順法闘争の場合は列車が削減・遅延されても一応動いているためそれが出来ず(遅延証明書の発行はあった)、結果として乗客は闘争の時期には列車を待つため長い行列を作り、更に混雑する列車に押し込められる状態にされていた。このことが、後述するようにしばしば暴動にまで発展する結果につながる。

国鉄の労働組合がこの闘争手段を初めて採用したのは1952年12月14日のことである[1]。国労は、それまでスト禁止を補完する公共企業体仲裁委員会や公共企業体調停委員会(のちに公共企業体等労働委員会に一本化)に賃金についての仲裁や調停を申請していたが、政府がそれらを「財政の逼迫」を理由に拒否することが相次いだため戦術を転換した[1]。1956年、仲裁裁定実施につき政府の努力義務が公共企業体等労働関係法に盛り込まれ、翌年から仲裁裁定は完全実施された。しかし、国労側は「裁定審議の引き延ばし」などを理由に春闘で順法闘争を敢行した[1]。「一斉休暇闘争」や「緊急職場集会」といった「実質的なスト」もおこなわれるようになり、さらに1961年には国労を含む公労法関係労働組合協議会が非合法を承知でのスト実施を宣言するにいたるが、その後も順法闘争は争議手段として用いられた。

1970年代にはこの順法闘争が頻発した。通勤電車におけるダイヤの乱れと混雑が助長、恒常化したために利用者の不満は大きく、埼玉県上尾駅を中心とする乗客による暴動上尾事件)や、首都圏の複数の駅における同時多発的な暴動(首都圏国電暴動)に発展する場合もあった。また順法闘争などと言いながら、その一方で自らは服装規定違反、食事をしながらの運転行為[注釈 1]、業務放棄、横柄な接客態度などが常態化し、果ては飲酒乗務による事故名古屋駅寝台特急「紀伊」機関車衝突事故や西明石駅寝台特急「富士」脱線衝突事故 )まで発生した。そのため、利用者の賛同は得られず、ほぼ敵意のみが向けられる結果となった。

一連の順法闘争が首都圏各地で乗客の暴動を招き、利用者のいわゆる「国鉄離れ」が決定的となった面もある。この頃はモータリゼーションの高まりにより鉄道全体の利用客が減少した面もあるが、首都圏における鉄道利用の通勤客は増大するばかりであった。

旅客輸送では、乗客は列車の遅延に対して私鉄やバスなどの代替交通手段に乗り換えるなど対処できるが、貨物輸送の事情は深刻であった。前述の通り、折しもこの時期はモータリゼーションによって高速道路や高規格国道の整備が進んでおり、トラック輸送が中心となりつつあった。そして、貨物が自ら乗換えることができなかったこと、意図的にダイヤを乱したことで輸送の信頼性を損なったため貨物でも「国鉄離れ」が進み、トラック輸送へのシフトが加速した結果、接続する私鉄の貨物も減収するという皮肉な結果となった。地方の中小私鉄で貨物を主体に収益を上げていた会社は続々と赤字転落に陥り、少なくない数の路線・会社が廃止・解散に追い込まれた(例:1984年2月に廃止となった別府鉄道)。

さらには、労働争議に積極的ではない組織の構成員に対して業務を妨害する、危害を加えるといった悪質な行動(吊し上げ)も散見された。


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