加藤芳郎
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2005年1月から入退院を繰り返していた[10]。2006年1月6日、東京都新宿区の病院で呼吸不全により死去。80歳没[10]。法号は妙筆院孤芳日泰居士。東京・小平霊園に葬る。

加藤の訃報に、かつて「連想ゲーム」の紅組キャプテンを務めた中田喜子、「ウィークエンダー」でリポーターを務めた桂ざこばらが、追悼のコメントを述べていた。
人物・エピソード

巻き癖の強い乱雑に整えた髪型と、小さく整えた
口ひげ[4]を蓄えた特徴的な容貌で知られた。

漫画を描く時は仕事場に一人で篭り、家族でさえ仕事場への立ち入りが許されず、唯一立ち入りが許されたのは愛猫だけだった。また、時事色の強い作風であるにもかかわらず、4コマ漫画1作を描くのに丸一日を費やしたことが少なくなかった。

日本会議の代表委員で、機関誌「日本の息吹」に寄稿していた[11]。一方で、府立六中の後輩であった日本共産党上田耕一郎とは対談をするなど交友が深く[12]、参院選に出馬した時には、推薦人として名を連ねた[13]

1997年1月30日、藤岡信勝西尾幹二らによって「新しい歴史教科書をつくる会」が設立されると[14][15]、各界著名人が賛意を表し、同年6月6日時点の賛同者は204人を数えた。加藤もその中に名を連ねた[16]

主な連載作品

[17][18]単行本化作品は後述
漫画

まっぴら君毎日新聞夕刊、1954年 - 2001年)。

オンボロ人生サンデー毎日、1954年 - 1960年)

オレはオバケだぞ(週刊現代週刊朝日、1959年 - 1978年(週刊現代)、1984年-1989年(週刊朝日))

モテモテおじさん(小説現代、1963年 - 1975年)

千匹の忍者(サンデー毎日、1964年 - 1975年)
ほか多数
漫画以外

加藤芳郎の甘辛倶楽部 - 対談(
産経新聞、1994年 - 2000年に月1回連載)

単行本

[18]
漫画
作品集


あほだら漫画集(
大日本雄弁会講談社、1955年)

現代漫画 第1期4巻「加藤芳郎集」(筑摩書房、1969年) - 鶴見俊輔佐藤忠男北杜夫

連載作品


まっぴら君

まっぴら君(八興、1956年)

まっぴら君 1-10(毎日新聞社、1988年)


オレはオバケだぞ 1-2(講談社、1966年)

モテモテおじさん(講談社、1966年)

千匹の忍者

千匹の忍者(講談社、1966年)

千匹の忍者(ファラオ企画、1990年)


オンボロ人生(コダマプレス、1966年)

オジサマ大名(コダマプレス、1966年)

ベンベン物語(実業之日本社ホリデー新書、1966年)

ポップ魔

狐狸狐狸日本(サイマル出版会) - 『週刊朝日』誌上の連載陣(加藤、井上ひさし山藤章二)による合同作品集


エッセイ

『雷おやじの本』
ブックマン社、1982年7月5日。NDLJP:12106742。 

加藤芳郎のまっぴらごめん(グラフ社、1984年)

猫が通れば道理引っ込む主婦と生活社、1986年) - 19人の漫画家による共著

猫が好き!(改題、KKベストセラーズ、1990年)


加藤芳郎の仕事も人生もプロでなくちゃ(中経出版「いい話シリーズ」、1994年) - 今波高志による聞き書き

父から学んだこと父として教えること 親子のつきあい方(ぴいぷる社、1994年)

あくせく自適で行くんだ、オレは! 夢の「悠々自適」はボケる道(講談社、1995年)

その他

加藤芳郎の連想ゲーム かたーい頭をもみほぐす驚異の連想術(
二見書房サラ・ブックス、1978年)

加藤芳郎のまっぴら人生 愛蔵版(産経新聞出版、2006年) - 『加藤芳郎の甘辛倶楽部』の傑作選および評伝。

メディア出演
テレビバラエティ番組

連想ゲーム(1968年4月 - 1969年3月、1970年4月 - 1991年3月、NHK総合) - 初代、3代目白組キャプテン

テレビ三面記事 ウィークエンダー日本テレビ、1975年 - 1984年)

テレビドラマ

おむすびコロリン(1969年、TBS) - 花小路広照 役


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