加藤嘉
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1957年の映画「」では半身不随の老人役を演じたが、今井正監督の度重なるダメ出しに苦悩したことから、役作りのため前歯を全部抜いて撮影に挑んだ[5]

出演した映画の中でも1974年の映画『砂の器』は、ハンセン病を患う和賀英良の父親役を、回想シーンおよび物語終焉シーンにて生死の狭間と父親の深くも悲しい愛を演じた。鬼気迫る演技を見せ、代表作の1つとされた。

1983年の映画『ふるさと』では妻を亡くした痴呆気味の老人役を好演し、モスクワ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞[5]

今井正山本薩夫内田吐夢今村昌平野村芳太郎ら多くの巨匠監督に重用されており、出演映画総数は360本以上[5]

1988年2月29日午後11時40分、自宅の寝室で倒れ、救急車で井上病院に運ばれたが、3月1日午前0時3分になって間もなく脳卒中により死去、75歳[10]。墓所は多磨霊園
エピソード
役者として

病人のように痩せこけた顔、骨ばった身体、ギラリと光る黒目の大きな瞳が特徴[11]。本人は生前、演じる際には極度のあがり症だったことを、ドラマで息子役で共演した児玉清に告白している[12]

映画では老け役を多く担当し、媒体によっては「“老け役”として様々な作品で強烈なアクセントの役割を果たしてきた」[11]、「好々爺よりも理不尽な物語を背負う役でこそ真価が発揮された」などと評されている[5]

映画評論家の樋口尚文は、加藤を以下のように評している。「加藤さんは、日本人特有の脆さを体現した俳優だと思います。だからこそ脇役で短い出演シーンでも、我々の琴線に触れ、目に焼き付いてしまうのです」[5]

加藤と親交のあった作家・水上勉は、加藤を以下のように評している。「痩せこけて骨太で神経質で頑固である。豊満な孟宗竹の切り口のように艷やかではないが、黒竹のように加藤嘉は締まっている」[5]

中村雅子との結婚生活の話として、娘・千代は以下のように回想している。「父の役者の仕事がない時は家の雰囲気も朗らかでしたが、父は常に役柄と同居して生きているような人でした。台詞が上手く頭に入らないと、父はよく家具に八つ当たりしていました。そのため父が居間で台本を覚える間は、私と母はできるだけ物音を立てないよう細心の注意を払って生活していました」[5]
4度の結婚

1度目は1933年に新橋の芸者見習いと上海へ駆け落ちして結婚し[5]、女子をもうけたがその後離婚。ある女優と2度目の結婚[5]をして男子と女子をもうけたが離婚。1950年(昭和25年)に当時の大スター女優・山田五十鈴と3度目の結婚をし、1952年(昭和27年)に夫婦で現代俳優協会を結成したが[13]、3年で離婚した。

1958年(昭和33年)に映画『米』で親子役として共演した、東映の新進女優・中村雅子と4度目となる結婚をし、後に女優となる加藤千代をもうけた[5]。また、これ以外にも様々な女優との恋の噂があり、マスコミからは「ドン・ファン」と評され、叩かれたこともある。妻の中村は、後年の著書『トランクいっぱいの恋文』で、恋多き加藤について「ヨシ(加藤)が惚れっぽいことは確かだが、それは彼が少年のようにいつも純粋な情熱(を持っていたから)なのだ」と回想している[5]

中村とは22歳差ということでマスコミに騒がれ、お互いの親族から大反対されたが、それらを乗り越えての結婚だった[注釈 1]。新婚早々加藤の京都での仕事が偶然続いたため、しばらくの間“別居婚”状態になったが、夫婦はラブレターでやり取りを続けた[5]
受賞歴

1983年:第13回
モスクワ国際映画祭 最優秀主演男優賞『ふるさと』

1983年:第38回毎日映画コンクール 演技特別賞『ふるさと』

1983年:第7回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞

出演
映画

太字の題名はキネマ旬報ベスト・テンにランクインした作品

わが生涯のかがやける日(1948年、松竹) - 森山泰次郎

破戒(1948年、松竹) - 郡視学

影法師 寛永坂の決闘(1949年、松竹) - 日向一角

続・影法師 龍虎相搏つ(1950年、松竹) - 日向一角

赤城から来た男(1950年、大映) - 繁太郎

殺陣師段平(1950年、東横映画) - 引抜きの男

エデンの海 (1950年、松竹) - 教頭

風にそよぐ葦(1951年、東横映画) - 岩本中尉

鞍馬天狗 角兵衛獅子(1951年、松竹) - 隼の長七

旗本退屈男 唐人街の鬼(1951年、東映) - 曾我内記

吃七捕物帖一番手柄(1951年、松竹) - 紀国屋彦左衛門

遊民街の夜襲(1952年、東映) - 荒牧警部

母なれば女なれば(1952年、キヌタプロ) - 校長

満月三十石船(1952年、東映) - 奉公

真空地帯(1952年、新星映画) - 林中尉

箱根風雲録(1952年、新星映画)

ひめゆりの塔(1953年、東映) - 佐々木軍医長

加賀騒動(1953年、東映) - 奥村長左衛門

女ひとり大地を行く(1953年、キヌタプロ)

雲ながるる果てに(1953年、重宗プロ) - 金子司令

ひろしま(1953年、日教組) - 遠藤秀雄

赤い自転車(1953年、第一映画) - 矢島貯金課長

唐人お吉(1954年、青俳クラブ) - 岡田備後守

日の果て(1954年、八木プロ) - 部隊長

ともしび(1954年、キヌタプロ) - 校長

どぶ(1954年、近代映画協会) - 博士

太陽のない街(1954年、新星映画) - 石塚

悪の愉しさ(1954年、東映)- 取調官 

若い人たち(1954年、全国銀行従業員組合連合会) - 刑事

億万長者(1954年、青俳クラブ) - 伝三平太

多羅尾伴内シリーズ(東映)

隼の魔王(1955年) - 宇田川主任警部

復讐の七仮面(1955年) - 執事高木

多羅尾伴内 戦慄の七仮面(1956年) - 奈川圭吉

多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ(1960年) - 木原巡査


人間魚雷回天(1955年、新東宝) - 石丸中尉

姉妹(1955年、独立映画) - 徳次

由起子(1955年、中央映画) - 上野山彦造

暴力街(1955年、東映) - 五味

赤穂浪士 天の巻・地の巻(1956年、東映) - 小野寺十内

電光空手打ち(1956年、東映) - 湖城空典

鍔鳴浪人(1956年、東映) - 白牙仙人

真昼の暗黒(1956年、現代ぷろ) - 大島司法主任

逆襲獄門砦(1956年、東映) - 乾文五郎

にっぽんGメン 特別武装班出動(1956年、東映) - 偽札団金山

夕日と拳銃 日本篇 大陸篇(1956年、東映) - 祖父時宗

こぶしの花の咲くころ(1956年、松竹) - 税務署員

警視庁物語シリーズ(東映)

警視庁物語 追跡七十三時間 (1956年) - 坂田五郎

警視庁物語 夜の野獣(1957年) - 捜査第三課の本部長刑事

警視庁物語 七人の追跡者(1958年) - 貴金属商のマスター

警視庁物語 顔のない女(1959年) - 歯科医


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