加藤嘉明
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秀吉は嘉明を激賞して行長を叱責し、5月、嘉明に3万7,000石を加増して10万石取りの大名としただけでなく、朱印状の文面で領地の都合が付けばさらに国主大名[5]に取り立てるつもりだと約束していたが、その8月に秀吉が死去したため、これは果たされなかった。その後、徳川家康前田利家大老の協議により撤収と決まって嘉明らも帰国した。
関ヶ原の戦い以後松山城(麓に二之丸(史跡庭園)、山頂に本丸、その間を結ぶ「登り石垣」(右側))

秀吉亡き後、豊臣政権では嘉明を含む武断派五奉行石田三成文治派が対立。慶長4年(1599年)、両派の調停役だった前田利家が死去し、加藤清正、福島正則、黒田長政細川忠興浅野幸長池田輝政、加藤嘉明ら7将は、三成殺害を企てた事件を起こして、三成を佐和山城蟄居へと追いやった。

武断派は筆頭大老・徳川家康に従っていたので、慶長5年(1600年)、家康が会津の上杉景勝の謀反を主張して討伐を命じると、嘉明もこれに先鋒衆として従軍した。この間に三成らが挙兵。引き返してきた東軍(徳川方)は、まず美濃国岐阜城に殺到し、嘉明は大手七曲口より攻め、福島正則らと共にこれを落とした。(岐阜城の戦い) また嘉明は大垣城攻めにも参加している。関ヶ原の戦い本戦でも、石田三成の本隊と戦って武功を挙げた。

他方、留守中の伊予正木では、毛利輝元の家臣・宍戸善左衛門河野通軌と同一人物説あり)および浪人・村上武吉村上掃部、能島内匠、曽根兵庫ら諸将が兵2,500を率いて侵攻してきたが、嘉明の老臣・佃十成が兵200で三津で夜襲して撃破し、掃部・内匠・兵庫らを斬った。(三津浜夜襲) さらに河野氏残党の平岡善兵衛の立て籠もった久米如来寺を攻略。蜂起した一揆勢の鎮圧には手こずったものの、関ヶ原の東軍勝利の知らせが届くと、毛利勢は撤退。一揆勢もほどなく鎮圧された。(伊予方面

戦後、その功績により10万石の加増となった。嘉明と高虎は共に伊予で20万石の大名となって並び立ち、領地も接して領域の確定し難い山間部があった。嘉明は足立重信に石手川の河川改修を命じて流れを変えてこれを重信川に合流させ、大きな地歩を得ると、慶長6年(1601年)、家康に勝山城(後の松山城)建築の許可を得て、翌年より嘉明は築城を開始し[6]、城下町の整備も始めた。

慶長8年(1603年)、嘉明は本拠地を正木から勝山に移し、これを機に地名を松山と改名した。

慶長11年(1606年)から同14年(1609年)にかけて、江戸城修築、駿府城修築、篠山城築城、名古屋城造営など相次ぐ工事に諸将と共に従事した。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、豊臣恩顧の大名であったため嘉明は江戸城留守居となり、嫡男・加藤明成が代って出陣した。

慶長19年(1614年)10月頃、吉明から嘉明へ改名したとされる[7][8]

一方、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では嘉明が出陣し、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の軍に従い、黒田長政と共に秀忠軍左翼に陣をしいて武功を挙げたが、この戦いの結果、豊臣氏は滅んだ。

元和5年(1619年)、福島正則が除封改易となったので、嘉明は正則の身柄を預かると共に、広島城の接収役も務めた。元和8年(1622年)には、徳川家世子の家光鎧着初で、介添役を務める名誉を受けた[9]。翌年、家光が3代将軍となると、従四位下に叙された。寛永3年(1626年)には侍従に任じられた。同年、後水尾天皇二条城行幸において警護役も務めた。

寛永4年(1627年)、会津の蒲生忠郷が嫡子なく亡くなったことで蒲生氏が減封となって伊予松山藩へ転じ、入れ替わりで嘉明が会津藩へ移封され、同時に43万5500石に加増され、本拠を若松城に移した。もともと家光は、要衝の会津に藤堂高虎を封じるつもりであったが、高虎が固辞して嘉明を推薦した。高虎と嘉明は日頃から不和であったが、高虎はそれは私事であり国事として嘉明が適任者であるとして推挙したという話を聞いて、両者はついに和解し、以後は水魚の交わりの如くなったという。なお、三男・加藤明利は三春3万石を賜り、女婿・松下重綱も二本松に配されて、嘉明の与力とされた。

寛永8年(1631年)、病を発し、9月12日に江戸の桜田第で死去した。享年69。法名は松苑院殿拾遺釈道誉大禅定門。麻布の善福寺で荼毘に付され、後に遺骨は東本願寺大谷祖廟に葬られた。法名も正保4年(1647年)に東本願寺法主琢如によって三明院道誉宣興と改名されている。

大正6年(1917年11月17日大正天皇が特旨をもって嘉明に従三位を追贈した。
子孫

嘉明の死後、家督は嫡男の明成が継いだが、明成が暗愚なために家老・堀主水ら一党が出奔してそれを追討するという事件が起こって、私闘を禁じた江戸幕府の介入を招き、減封ののち嗣子を立てて家名存続との裁定となった。


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