加藤剛
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本名:加藤 剛(かとう たけし)[3]身長173cm[4]体重70kg[1]俳優座所属[4]

2001年紫綬褒章受章。2008年旭日小綬章受章[4]
来歴
出生から学生時代まで

静岡県榛原郡白羽村御前崎市)出身。父鉉一郎は小学校の校長[5]。姉四人と兄、弟がいる[6]。俳優のうえだ峻とは叔父・甥の間柄で、うえだの母は自身の姉にあたる。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった[7]。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった[8]

加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり[6]、庭にはたくさん木があった[6]。いわゆる腕白少年ではなく、よく母の台所仕事を手伝い[7]畑仕事もした[7]。自作するだけの畑はあったため、サツマイモを交代で作っていた[7]

剛は御前崎の遠州灘に続く茶畑のある風景の中で育ち、中学三年の時に地元を離れた[9]。戦争未亡人となり美容室を開いていた文京区の長姉宅に寄宿した[9]

もともと俳優になろうと思っていたわけではなく、「何か演劇映画に関係する仕事ができればいいかな」と思っていた[9]小石川高校の時、柔道部に入っていたが先輩が演劇もやっており「お前も手伝え」と命じられ舞台に立ったのがきっかけだった[10]

東京都立小石川高等学校を経て、早稲田大学第二文学部演劇科で学ぶ[9]。学内の劇団、自由舞台で活躍する[9]
俳優としてテレビドラマ『人間の條件』の放映終了(1963年4月1日)直後、週刊誌で特集される。主婦と生活社『主婦と生活』第19巻19号(1964)より

大学4年の時、20倍の難関を突破して俳優座養成所に入る[10]

1962年10月1日放映開始のテレビドラマ『人間の條件』(TBS、全26話)で主人公の梶役に抜擢された。出演のため1年「休学」。同作品では「ぼくという裸身の素材にこの男(主人公の梶)の一生を忠実に刻み込んでゆくこと」で演じきり、原作者の五味川純平より「テレビ映画の優れた主演者」と評された[11]。後、13期生として修了。修了時の同級生には石立鉄男佐藤友美細川俊之横内正らがいる。27歳で正月公演で安部公房作『お前にも罪がある』で「男」を演じ、演出上傾いた舞台装置「男の部屋」上で2時間の連続演技を行う主役に抜擢[12]

同期の横内正は、養成所で加藤と初めて会った際、その美男子ぶりに驚いたといい「欠点のない男。こんな二枚目がいるんじゃ、かなわないと思った」と振り返り、「(俳優座の先輩の)平幹二朗さんは、仲代達矢がいる限り劇団で上にいけない、と思ったように、僕も加藤剛がいる限り上にはあがれないだろう」と、横内が後に俳優座を退団する決意をするほど存在が大きかった。また、不思議な縁だが、加藤は「大岡越前」(TBS)を主演、横内は「暴れん坊将軍」(テレビ朝日)で同じ大岡役をレギュラー出演、「同じ役で“競演”しているつもりで演じていましたよ」と回想していた[13]

1969年(昭和44年)12月26日(金曜日)、『週刊実話』に対し慰謝料などを求める訴訟を起こし、地裁に続き高裁でも勝訴[14]

熊井啓監督の映画主演でも有名。忍ぶ川三浦哲郎原作)栗原小巻 の恋人役と、北の岬辻邦生原作)クロード・ジャド の恋人役であった。

『大岡越前』は長年に渡る当たり役で、TBSテレビ月曜8時の看板番組として、1970年(昭和45年)3月16日(月曜日)から、『水戸黄門』『江戸を斬る』等とローテーションを組みながら、足掛け約30年間、2006年3月20日放送の最終回スペシャル版を含めれば36年間にも及ぶ長きに渡り主演し通した(詳しくは『大岡越前』参照)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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