1926年(大正15年)5月12日に加波山鉄道と改称、発起人の追加も行った。1927年(昭和2年)6月には発起人37人が脱退。11月に、計画路線の地盤が脆弱であることと恋瀬川の水害を避けるために路線変更の申し出を行う。変更後のルートについては鉄道省の文書に略図が見つかっているのみであり、詳細は不明である。略図から、終点が当初の計画より北にずらされていることが分かる。1927年(昭和2年)3月17日に鉄道施設工事施行認可が下り、同年9月12日に工事が開始された。当初、竣工を1929年(昭和4年)3月15日までとしていたが、用地買収に日数を費やしたことから、同年2月に工事竣工期限を1931年(昭和6年)まで延長することを申請した。その後、同年9月に那珂川の氾濫により高浜駅付近に被害が出てたことから、再度の路線変更を検討する。また、同年5月に石岡への起点変更と、竣工期限の再延長を申請したが、認可されなかった。
そして、度重なる不況や石岡中町の大火災などで工事が継続できなくなり[2][出典無効]、1933年(昭和8年)9月4日に鉄道施設免許が取り消された[4]。 軌道跡は汽車道と呼ばれる市道や恋瀬川サイクリングロードに転用された。また、八郷総合支所付近には築堤が残されている[12]。
年表
1923年(大正12年)
8月7日 - 恋瀬川沿岸軌道株式会社設立出願。
12月25日 - 地方鉄道へ変更申請、同時に社名を柿岡鉄道と改める。
1925年(大正14年)6月27日 - 高濱町-柿岡町間鉄道敷設免許下付[5][3]。
1926年(大正15年)5月12日 - 会社名称変更届[5][6]。社名を加波山鉄道と改める。
1927年(昭和2年)
3月17日 - 高濱-柿岡間鉄道施設工事施行認可[5][7]。
9月12日 - 高濱-柿岡間工事開始[5][8]。
1929年(昭和4年)
4月22日 - 高濱-柿岡間工事竣工期限延期出願[5][9]。
12月19日 - 高濱-柿岡間線路および工事方法変更認可申請書依願返付[5][4]。
1933年(昭和8年)
9月4日 - 高濱-柿岡間工事竣工期限延期願却下ならびに敷設免許取消[5][10]。
10月19日 - 高濱-柿岡間敷設免許状返納[5][11]。
計画接続路線
高浜駅:鉄道省常磐線
現状
脚注^ ⇒起業家の夢かなわず 加波山鉄道 - 2014年9月16日閲覧
^ a b ⇒幻の加波山鉄道 - 2014年9月16日閲覧
^ a b 高浜町柿岡町間鉄道敷設免許ノ件
^ a b 高浜柿岡間線路及工事方法変更認可申請書依願返付ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月16日閲覧
^ a b c d e f g h 第一門・監督・二、地方鉄道・加波山鉄道(元柿岡鉄道)・失効・大正十四年?昭和八年 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ 会社名称変更届 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ 高浜町柿岡町間工事施行ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ 高浜町柿岡町間工事着手届 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ 高浜柿岡間工事竣功期限延期ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ 高浜柿岡間工事竣功期限延期願却下並免許取消ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ 高浜・柿岡間敷設免許状返納ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、2014年9月17日閲覧
^ ⇒加波山鉄道の築提跡と軌道跡[石岡市] - 常陽リビング特集『茨城歴史散歩』 - 2014年9月16日閲覧
外部リンク
⇒幻の加波山鉄道