権力へ向けて意思することが自由の謂いだと『権力への意思』でニーチェはしている。
力への意志という概念はナチスに利用されたが、ニーチェの哲学を曲解したものとする見方がある[9]。ニーチェが反ユダヤ主義ではなかったという点ではナチスに利用されていたが、それを除外した限りでの権力主義の側面ではナチスと重なるところは多大。 ニーチェは『力への意志』を著すために多くの草稿を残したが、本人の手による完成には至らなかった。ニーチェの死後、これらの草稿が妹のエリーザベトによって編纂され、同名の著書として出版された[10]。ただし、力への意志という言葉は『ツァラトゥストラはこう語った』や『人間的な、あまりにも人間的な』の中でも登場し、その概念をうかがい知ることができる。このことは、「力への意志」という主題がニーチェにとって著作としてまとまったものになるほど成長することはついになかったということであり、言ってみれば、ニーチェはその偽悪的なポーズにもかかわらず、彼のファナチックな読者たちよりもずっと慎重な性格だったということである。 著作としての『力への意志』は「ニーチェの意志」ではないという当然の評価は、第二次世界大戦でのナチスドイツ敗北後に、ハンザー社の『ニーチェ三巻著作集』で編集者シュレヒタが同著作を『八十年代の遺稿から』というアフォリズム集に編集解体して初めて認知された。それまでは、ナチス時代を通じ『権力への意志』こそがニーチェの理論的主張であるというのが通念だったのである。しかし、ここの注1の「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」という説明は、そのシュレヒタの三巻著作集でもなお、記述があるので、やっぱり「ニーチェの意思」であるとして、ただ、「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする(他者の)意欲」の前に自己抹消をする覚悟をもって権力へ向かって意思せよ、という付加がそこに必要だ。
著書
脚注^ ニーチェ著、原佑訳 『権力への意志』下巻、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1993年、p.216。
^ 今村仁司編 『現代思想を読む事典』 講談社〈講談社現代新書〉、1988年、pp.423-424。
^ ニーチェ著、氷上英廣訳 『ツァラトゥストラはこう言った』上巻、岩波書店〈岩波文庫〉、1967年、pp.193-194。
^ 貫成人 『真理の哲学』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2008年、第1章§2。
^ 貫成人 『図解雑学 哲学』 ナツメ社、2004年、p.134。
^ 『わかりたいあなたのための現代思想・入門』 別冊宝島44、宝島社、1984年、pp.22-23。
^ 永井均『ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)』河出書房新社、1997年、p.142
^ 竹田青嗣 『ニーチェ (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 47)』 現代書館、1988年、pp.122-24。
^ a b フリードリヒ・ニーチェ#思想を参照。
^ 日本語訳: ニーチェ著、原佑訳 『権力への意志』上下巻、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1993年。
関連項目
フリードリヒ・ニーチェ
エリーザベト・フェルスター=ニーチェ
ツァラトゥストラはこう語った
イデオロギー
表
話
編
歴
フリードリヒ・ニーチェ
著作
悲劇の誕生
ツァラトゥストラはこう語った
善悪の彼岸
道徳の系譜
この人を見よ
概念と
哲学
運命愛
永劫回帰
神は死んだ
末人
君主-奴隷道徳