劉知幾
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よって、中国での純粋な歴史学の創始者は、劉知幾であるという[2]

後世、『史通』は歴史研究者の必読の書となったが、文章が難解であるため、の浦起龍の注釈書である『史通通釈』20巻によって読まれることが多い。

劉知幾は、正三品下という左散騎常侍にまで栄達したが、長男の劉?が罪を犯したことに連坐し、安州別駕という地方の属官に降格され、61歳で不遇のうちに病死した。没後、主著の『史通』が玄宗の前で講じられ、玄宗の心を動かしたことで、罪を赦され工部尚書を追贈された。

劉知幾が関わった史書には、『高宗実録』『則天大聖皇后実録』『中宗実録』『三教珠英』『姓族系録』などがあり、著書には『劉氏家史』『劉氏譜考』『劉子玄集』などがあったというが、散佚して伝わらない。
史才論

「史才論」は、武周長安3年(703年)、礼部尚書の鄭惟忠(中国語版)から「古来、文士は多いのに史才が少ないのは何故だろうか」と問われたことに対する答えとして書かれた文章で、『旧唐書』『新唐書』に収録されている[3]

劉知幾は、当時の史官が無知な阿諛の徒に占拠されており、互いに対立して作業が進まないこと、そして自分が作業を進めると非難されるという状況にあったことを憂えていた[3]。こうした状況下で、劉知幾は「史才論」において、史官が持つべき能力を以下の三点にまとめて述べた[3]
才 - 史料批判や文筆の才能、史書構成の識見のこと。

学 - 多聞博識、知識が豊富なこと。

識 - 歴史叙述を遂行するための正義感、政治的道徳性を備えていること。

劉知幾は、史官たらんとするものはこの三才を備えてはじめてその資格を持つとした。
脚注^唐会要』巻三十六
^ 渡邉義浩『はじめて学ぶ中国思想 思想家たちとの対話』(初版)ミネルヴァ書房(原著2018年4月20日)、151頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784623081066。 
^ a b c 稲葉 2006, pp. 281?287.

伝記資料

旧唐書』巻102

新唐書』巻132

傅振倫『劉知幾年譜』(1934年

参考文献

稲葉一郎『中国史学史の研究』京都大学学術出版会〈東洋史研究叢刊〉、2006年。ISBN 4876985286。 

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