日本では、2008年6月に尖閣諸島近海で台湾漁船が海上保安庁巡視船に衝突され沈没した事件(聯合号事件)をめぐり、日本との開戦の可能性を排除しないという見解を示し、日本に対する宣戦布告ではないかと波紋を引き起こした人物として知られる。しかし、実際には、好戦的な国民党立法委員に「開戦の可能性は排除しないか」と執拗に質問されてやむを得ず「そのとおり(是)」と答弁したようであり、真意は平和的解決の強調にあったとされる。実際、その日の晩に行政院は、行政院長の発言の趣旨について、外交処理を優先し、日本と開戦するとは言っていないとする見解を出している[1]。
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注釈^ ただし、閣僚25名は後継の呉敦義内閣で再任されている。
出典^ 浅野和生 「国民党馬英九政権の対日政策」『問題と研究』2008年10・11・12月号、『聨合報』2008年6月14日
先代
郭南宏
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