創造論
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全的堕落前と堕落後の世界は相違しており、堕落後の世界に生きている人間がアダムの堕落前の世界を科学的に解明することはできないとする説[12]
高等批評学、文書仮説詳細は「高等批評学」および「文書仮説」を参照

事物の創造順が異なるため統合できないとする文献批判の聖書学により創世記をP典とJ典(2章4節から)の二つに分類して創造説話を解釈するもの。高等批評学文書仮説では『創世記』の第一章天地創造でエロヒムが植物・動物・人(男と女)の順で天地を完成させたとしているのに対し、第二章では第一章とは異なる順序、つまり、アダム・植物・動物・女イシャー(後にイブという名になる)の順にヤハウェ・エロヒムが創ったとしている点に着目し、創世記の記述を文字通りに解釈するものではないと主張している[注釈 1]
インテリジェント・デザイン(ID)詳細は「インテリジェント・デザイン」を参照

近年のアメリカで始まったもので、聖書から科学的に論証しようとする宗教的な論説の創造科学を基礎にして、より多くの人々に受け入れられるように、全てを創った存在を「創造者(神)」と言わず「偉大なる知性(インテリジェント)」と表現し、この知性によって宇宙・地球が設計(デザイン)され、創造されたとするもの。創造科学と違い若い地球説を採らない。
キリスト教の教理・教義・神学としての創造論

創造論は術語としては近年のキリスト教(特にプロテスタント)で使われるようになったものである。しかし神により世界が創造されたとする考え方については、聖書を根拠とする歴史的伝統がある。

キリスト教の正統信仰を規定する基本信条である使徒信条原ニケア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、神をまず創造主として告白している。従ってキリスト教において創造は必須の基本教理・教義である。ただしその創造をどのように理解するかについては、キリスト教内に見解の差異がある。
古代から教父時代の創造論の例

エイレナイオスはギリシャの異教哲学を退け、神による無からの創造を主張した。テルトゥリアヌスは神の意志を強調した。アウグスティヌス、ジャン・カルヴァンの神学に見られる創造の教理は創造主である神と被造物を区別し、神の創造を認めることに中心がある[13]。アウグスティヌスは神が時間も創造したと教え、これは現代の思想にも影響を与えている。

無からの(ex nihilo)創造の教理は、グノーシス主義の異端に対して強調された。トマス・F・トーランスは、初代教会がグノーシスと対決し、ヘレニズムと東洋的な仮説を退けたとする研究を発表した。[14]
現代の創造説
正教会における見解

正教会もこの世が神によって創造された事は疑わない。しかしながら旧約聖書、特に創世記にある世界の創造の記述について、どこまで創造が記述された通りに行われたか、また生物の進化をどこまで認めるかといった問題については、正教会内でも見解の差がある。さらに、こうした見解の差を解消して教義化したり、非妥協的な答えを出したりするといった事はこれまで行われていない。確かに教義とされているのは、唯一の真の神がこの世の一切を創造したこと、人が被造物の中で特別に唯一、神の像と肖に似せて創られたことである[15]

こうした正教会における創造を巡る理解は、科学の発達した近現代に始まるものではない。4世紀には既にニッサのグリゴリオスが創世記の冒頭部分につき、「歴史であるよりはむしろ物語のかたちを借りた教義である」と述べたことを、英国在住の府主教カリストス・ウェアが著書で引用している[16]

ロシア正教会渉外局長も務めるイラリオン・アルフェエフ府主教は著書『信仰の機密』において、聖書の史実は実際の歴史であって寓話でも比喩でもないが、古代のあらゆる記述と同様に象徴言語で書かれているため、聖書を読むのにあたっては単語のひとつひとつ、形象のひとつひとつを解釈しなければならないのであり、聖書に書かれたことは最後の一字まで真理であるが、全てを文字通りに解釈すべきではないとし、聖書の記述を「象徴的記述」であるとしている[17]
カトリック教会における見解

カトリックは本来、創造論を支持するが、1996年10月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、「進化論は仮説以上のもので、肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神に創造されたもの」だと述べた。
プロテスタントにおける見解

支持者によって20世紀最大の神学者と称される新正統主義カール・バルトは、未完の主著「教会教義学」全4巻における第3巻、邦訳全36分冊中11冊分を創造説に割いている。

バルトに師事したトーマス・トーランスは師であるバルトと見解を異にし、神学が自然科学に基礎付けられるのではなく、逆に科学が神学に基礎付けられるべきであり、その方が真実に近いとしている[18]

内田和彦は進化論を受け入れる立場が部分的霊感説になるとしている[19]。しかしながら福音主義の神学者の中には有神的進化論を受け入れるものも多数存在する。日本基督教団亀有教会牧師鈴木靖尋は、日本基督教団の牧師の95%が部分霊感であり、有神的進化論の支持者であるとしている[20]
創造論の神学的意義

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出典検索?: "創造論" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年7月)

神学的に創造の意義について洞察を深める場合も「創造論」と称される。

前述の通り、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒は、理解の差こそあれ基本的に創造説を受け入れている。

特に、聖書は十全に信頼するに値する書物と信じるキリスト者は、宇宙の始まりから現在までの過程は旧約聖書の『創世記』の記述の通りであり、生命はそれぞれの「」が個別に創造された不変のものであると信じている。

ある書物、文献を読解あるいは研究、調査をする場合にはまずは読んで字のごとくに解釈しつつ、文脈からその文章を解釈する事がまずなされるべき姿勢である。しかし聖書が持つその独自性から多くの部分を予型、雛形、比喩、としても読み取ることが出来るため横道にそれてしまい聖書の存在の目的である、個々の人格的救いをもたらす信仰を損ない、健全な教義や信仰の破綻あるいは異端に及ぶ危険性を孕んでいる。神が聖書の記述通りに生命や世界をされたことを字義的に解釈することは、それぞれの教派間にも聖書信仰による一致をもたらす原動力になるものと思われる。

また聖書は考古学的にも信頼できるものだという認識が、19世紀末からの考古学的発見によって高まって来ており、書簡の多くの部分でその歴史的記述の正しさが実証されている。さらに人間の持つ弱さ、罪の性質から来る ⇒因習や伝統的慣例などの間違いを正す力を持っている。信仰者が御言葉により霊の糧を与えられているのはいうまでもないが信仰者のみならず、現実の社会に多大な影響を与えてきた書物である。この聖書を神の言葉として信ずるに値するものであること、進化論的価値観から聖書的世界観への変換(パラダイムシフト)という新しい視点を与える創造論は意義あるものと言える。
創造論の影響
アメリカ合衆国

アメリカ合衆国では『創世記』をそのまま信じている人はかなりの割合であると言われ、論争が起こってきた。その中には、進化論を教えるならば同じ時間だけ創造論も教えるべきであるという主張や、創造主の存在を出さずに創造論を暗に示唆するインテリジェント・デザイン論など立場は多様で、複雑である。一部の州では生物の教科書で「進化論」を教える派と「創造論」を教える派が真っ向から対立し社会問題化することもあった(スコープス裁判など)。インテリジェント・デザイン論を公教育に取り入れようとする動きに対して反対派が創造主がスパゲッティ・モンスターであるというパロディ宗教「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」を創設して抗議運動を起こした。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}近年アメリカで創造論を支持する人が増加しているのは福音派の影響というよりも、それぞれの専門家が議論を交わすテレビ討論番組などの放送が大きく影響しているようである。[要出典]民間の統計では国民の50%を超える人々が神が人間を創造した事を信じているという数字が出ている[21][注釈 2]


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