創価教育学会
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11月2日 - 第3回総会。小平芳平が初めて出席、入会。

1942年(昭和17年)
5月10日 - 『価値創造』が内閣情報局から廃刊命令を受ける。11月 - 神田の一ツ橋教育会館において第5回総会。600人が参加、会員が4千名に。支部の数が東京に16、地方に12となる。

1943年(昭和18年)
5月2日 - 第6回総会。戦前最後の総会となる。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊させられる[2]6月 - 牧口、戸田らは大石寺を訪ねた。そこで、宗門から神札を受けるように申し渡されたが、これを拒否する。[5]7月6日 - 伊勢神宮神札、「神宮大麻」を祭ることを拒否し、焼却したために、「治安維持法」違反並びに「不敬罪」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が特別高等警察逮捕される。[6][7]

1944年(昭和19年)
11月18日 - 牧口が東京拘置所内の病監で栄養失調老衰のため死去。11月24日 - B-29による東京初空襲で創価教育学会と日本商手の入ったビルが焼失。

1945年(昭和20年)
7月3日 - 戸田が豊多摩刑務所(後の中野刑務所。現在は「平和の森公園」)から出獄。9月 - 戸田が東京都千代田区西神田にビルを取得。創価教育学会本部を再建。

1946年(昭和21年)
3月 - 「創価教育学会」を「創価学会」に改称。

戦後については、宗教法人創価学会」の頁を参照し、教育団体としての沿革を次に記す。


学校法人創価学園

1968年(昭和43年) - 学校法人創価学園創立。男子校として創価中学校・高等学校設置。

1973年(昭和48年) - 女子校として創価女子中学校・高等学校設置。

1976年(昭和51年) - 札幌創価幼稚園設置。

1978年(昭和53年) - 東京創価小学校設置。

1982年(昭和57年) - 創価中・高を男女共学校に改組。

1982年(昭和57年) - 創価女子中・高を男女共学校に改組。伴い、関西創価中学校・高等学校に改称。

1982年(昭和57年) - 関西創価小学校設置。



学校法人創価大学

1971年(昭和46年) - 創価大学開学。

1976年(昭和51年) - 創価女子短期大学開学。


参考文献

戸田城聖著『小説
人間革命』上・下(聖教新聞社出版局、1993年)

池田大作著『人間革命』第1?12巻(聖教ワイド文庫、聖教新聞社、2013年)

脚注^ 「正統天皇と日蓮」(2001年 いしずえ)
^ a b c d 舘澤貢次 『宗教経営学』(双葉社 2004年3月30日ISBN 978-4575296693

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