戸田城聖が存命だった1950年代から、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派を一切認めず「邪宗・邪教」として批判してきた[156]。その攻撃の矛先は折伏大行進期には立正佼成会や天理教など日蓮・法華系あるいは神道系の新宗教団体、正本堂建立以降は妙信講(現・冨士大石寺顕正会)や正信会といった日蓮正宗系新宗教団体、そして破門後は日蓮正宗宗門へと向けられた。立正佼成会等が新日本宗教団体連合会や日本宗教連盟などを通じて他教派との交流を取っているのと異なり、2017年(平成29年)現在でも学会本体・公明党共に日本国内の他の新宗教教団とは協調するまでには至っていない[157]。「四箇格言」および「立正佼成会#活動・動向」も参照
一方、日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があったキリスト教やイスラム教など仏教以外の既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された1995年(平成7年)11月23日以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、創価学会インタナショナルは(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されているイスラム圏、社会主義国など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。
さらに、SGIは世界宗教議会の定期的な参加団体であり、また、欧州科学芸術アカデミーと一連の宗教間シンポジウムを開くなど、さまざまな宗教の人々との間の理解を形成することを目的とした宗教間対話や取り組みに積極的に参加している[158]。 島田裕巳によると初代会長の牧口常三郎は皇太神宮の神札である神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させたが、国家神道の全てを否定していたわけではないという[159]。第5回総会での全員座談会において牧口は靖国神社に参拝する意義を説き、靖国神社への参拝はご利益を得るためのものではなく感謝の心を表すものである点を強調した[159]。さらに牧口は、天照大神や代々の天皇に対して「感謝し奉る」と言い、昭和天皇を現人神と認め、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」と述べている[159]。 また、現代ビジネス(Web版週刊現代)によると、当初、創価学会の前身である戦前の創価教育学会は治安当局と左翼運動取締りにおいて協力的な関係にあった[160]。創価教育学会は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」とうたったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料にもしていた[160]。牧口らは警視庁特高課やその元締めである内務省警保局、思想検事ら治安当局と緊密に連絡を取り合っていた[160]。しかし、日本共産党を壊滅させた後、治安当局が次に取り締まり対象としたのは宗教団体であった[160]。一転して、創価教育学会は特別高等警察の弾圧を受けることになった[160]。ただし、それは創価教育学会が反戦・平和を訴えたからではない[160]。神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させるなどしたからである[160]。 当時、大方の宗教団体がそうだったように、日蓮正宗も戦争には協力的な立場だった[161]。
戦前・戦中の国家、神道との関係