創価学会
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支部の数が東京に16、地方に12となる[6]。
1943年(昭和18年)
5月 - 創価教育学会第6回総会。直後に神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊命令を受ける。
7月 - 「治安維持法」違反並びに「不敬罪」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が逮捕される。
1944年(昭和19年)
11月18日 - 牧口が東京拘置所内で死去。
1945年(昭和20年)
7月 - 戸田、東京都中野区にあった豊多摩刑務所(現・月形刑務所)から出獄。
9月 - 東京都千代田区西神田にビルを取得。創価教育学会本部を再建。
1946年(昭和21年)
3月 - 「創価教育学会」を「創価学会」に改称し、布教活動を進める。
11月17日 - 牧口の三回忌法要および「創価学会」第1回総会を開催。戸田が理事長に就任。
1947年(昭和22年)
8月14日 ? 戸田が出席した座談会に池田大作が参加[SG 26]。
8月24日 ? 池田が創価学会に入会[SG 26]。
1949年(昭和24年)
7月 - 機関誌『大白蓮華』創刊。
1950年代信濃町の本部(1957年)
1951年(昭和26年)
4月20日 - 機関紙『聖教新聞』創刊[注 3]。
5月3日 - 戸田が「創価学会」会長に就任。小泉隆が理事長に就任。戸田は就任演説において、自らが生きている間に75万世帯を折伏することを目標に掲げる[106]。
7月11日 - 男子部結成。
7月19日 - 女子部(現・女性部)結成[107]。
11月
4日 - 第6回総会にて戸田は「学会精神と目的」について「弘安2年10月12日図顕の一閻浮提総与御本尊の日本流布、東洋広布、日蓮正宗宗門の顕揚」の3ヶ条遂行を大誓願とする旨発表[SG 27]。
18日 - 『折伏教典』を発刊[105]。
12月18日 - 戸田が宗務院の命により登山し、「宗教法人創価学会」設立に際して、宗門から要望のあった3ヶ条の遵守を約束[SG 28][SG 29][注 4]。
詳細は「#日蓮正宗との関係」を参照
1952年(昭和27年)
4月 - 「狸祭り事件」[6]。
4月28日 - 『新編日蓮大聖人御書全集』(通称・御書全集、御書)を発刊[SG 30]。
8月27日 - 東京都知事より宗教法人の認証を取得。
11月 - 『御書十大部講義』を発刊[105]。
12月 - 教学部の任用試験を開始[6]。
12月20日 - 東京都新宿区信濃町25番地に新本部を建設する計画を聖教新聞紙上で発表するも後に建設用地を売却[注 5]。
年末 - 男子部の人材育成グループ「水滸会」を発足[108]。
1953年(昭和28年)
9月20日 - 東京都新宿区信濃町32番地にあった洋館を改築して新本部とする計画を聖教新聞紙上で発表する[SG 31]。
10月 - 東京都新宿区信濃町に本部が完成[109]。
11月 - 本部を信濃町に移転[6]。
1954年(昭和29年)
3月 - 参謀室設置
10月 - 大石寺に青年部1万人が登山し、出陣式[6]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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