第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法違反並びに伊勢神宮に対する不敬罪で特別高等警察に逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月3日、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を再建、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。
1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の大規模な布教活動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大した。しかし、強引な勧誘手法は批判を呼び、社会問題にまで発展した[3][4]。1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。その後、次第に日蓮正宗宗門と軋轢が生じ、1991年(平成3年)11月、「教義の逸脱」などを理由に破門される(後述)。
教義的には日蓮を末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、平和な世界の実現を目標とするとしている[5]。
1962年(昭和37年)には「公明政治連盟」を創設し、2年後の1964年(昭和39年)には日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本の政治にも関わっている[6]。 日本における創価学会公称の会員世帯数は約827万世帯、日本国外では280万人、教学部員数が260万人となっている[7]。 推定の会員数は、資料によって差異がある。
初代会長の牧口常三郎
2代会長の戸田城聖
3代会長の池田大作
4代会長の北条浩
教勢
約250万人(1980年・村上重良)[8]
約500万人前後(1988年・沼田健哉)[9]
約1,200万人(1995年・米本和広)[10]
約542万人(1995年・文化庁統計より推定)
約576万人(2000年・文化庁統計より推定)[他 1]
約2,000万人(2006年・島田裕巳)[11]
約250万世帯(2007年・島田裕巳)[12]
約280万人(2017年・島田裕巳が大阪商業大学調査より推定)[13]
約177万人(2018年・島田裕巳)[14]
約380万人、日本国民の約3%(2019年・島園進 )[15][16][17]。
日本国外への布教活動