第二次世界大戦中、党官房は戦時における任務を担っていた。国境沿いの住民の避難、空襲後の支援、資料の収集と破棄、総力戦の呼びかけ、そして国民突撃隊の結成などである。
党官房は1945年10月10日の「ナチス組織の解散と清算」に関する連合国管理理事会法第2号によって正式に解散された。 戦争中、何人かの囚人が厨房と配達業務のために党官房の事務所に配属された[22]。1944年8月から1945年4月の間に、党官房の建物はダッハウ強制収容所の副施設が収容されていた[23]。囚人はマックス・ヨーゼフ通りとカロリネンプラッツの角にある建物の地下に収容され、清掃や警備の仕事に使われていた。 従って、副総統の各事務を代表する、副総統官房幕僚長の指示下での各幕僚の主たる任務の一つは、党の大管区、並びに各部門及び関連組織を政治的に統一し、政治的規約を付与することにある。更に、総統の指令に基づく国家当局の立法企画と国民社会主義的世界観に則る人事配置において決定的な役割を果たすことは、副総統官房の使命である。
囚人の徴用
定款[24].mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}国民社会主義運動が国家を掌握した後、総統は国政に於ける並外れた労務と多忙の末、党の中央政治委員会委員長より推薦された党指導者副官を配置することを余儀なくされた。総統の任務は、本副官にとって重要な責任を引き受けることを意味する。政権の座に就くことによって、党はその最良の力の大部分を国家に引き渡さざるを得なくなった。此等、幹部の一部は党の役職に留まり続けたが、特に国家の再建には途方もない労力と個人的参画が必要であった為、最早、全ての労力を党への活動に転ずることが不可能となった。斯くして副総統は党を再編し、新たな運動部隊の動員を確立することとなったのである。また、党の支部と関連組織は統一された政治的指導を必要としていた。
組織
1938年()内は党全国指導部の階級、及びその他の職位を記す
副総統官房 ? 副総統(指導者代理):ルドルフ・ヘス(全国指導者)
幕僚部 ? 幕僚長:マルティン・ボルマン(全国指導者、副総統個人秘書)
幕僚部理事会 ? 理事長:ルドルフ・マッケンゼン(局長)
党公文書本館 ? 館長:エーリヒ・ユトレヒト
党国外組織部(英語版) ? 部長:エルンスト・ヴィルヘルム・ボーレ(国外大管区指導者)
外交政策諮問委員会 ? 代表:ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(外相)
全技術及び付属機関調整委員会 ? 代表:フリッツ・トート博士(最高局長、トート機関総監)
全公衆衛生問題審議会 ? 代表:ゲルハルト・ヴァーグナー(ドイツ語版)博士(幹事長)
大学教育政策委員会 ? 代表:フランツ・ヴィルツ(ドイツ語版)博士教授(統括官)
国家新建設企画委員会 ? 代表:アドルフ・ヴァーグナー(ミュンヘン=上バイエルン大管区指導者)
雇用創出・財政及び税制審議会 ? 代表:フリッツ・ラインハルト(英語版)(幹事長、財務省国務長官)
芸術・文化政策委員会 ? 代表:エルンスト・シュルテ・シュトラトハウス(ドイツ語版)(局長)
音楽担当委員会 ? 代表:フランツ・アダム(ドイツ語版)(統括官)
教育問題審議会 ? 代表:フリッツ・ヴェヒトラー(英語版)(バイエルン東マルク大管区指導者)
実務技術審査会 ? 代表:テオドール・クロネイス(英語版)(局長)
党文献保護の為の公認検査委員会 ? 代表:フィリップ・ボウラー(全国指導者、総統官房長官)
建設担当委員会 ? 代表:アルベルト・シュペーア(本局長、総合建築検査官)
党組織経済政策中央局 ? 局長:ヴィルヘルム・ケプラー(最高局長)
経済政策委員会 ? 代表:ベルンハルト・ケーラー(ドイツ語版)(局長)
StdFベルリン支局(首都連絡本部) ? 支局長:ヘルベルト・シュテンガー(最高局長)
StdF特命代表 ? 代表:グスタフ・ロベルト・エークレ(ドイツ語版)(最高局長)
z.b.V(特務)委員会 ? 代表 :ラルフ・ブロックハウゼン(ドイツ語版)(最高局長)、マルティン・ザイデル(ドイツ語版)(最高局長)
第II部(党内問題)
公務本部 ? 本部長:ヘルムート・フリードリヒス(最高局長)
第II部-A課 ? 課長:アルベルト・ホフマン(ドイツ語版)(局長)、主任補佐官 ? エーリッヒ・エフトガー(統括官)
第II部-A課a- ? 所長:パネンボルグ(参事官)
第II部-A課b- ? 所長:フランツ・シュミット(統括官)
第II部-A課d- ? 所長:ランゲ(統括官)
第II部-B課 ? 課長:カール・ゲルラント(ドイツ語版)(局長)、主任補佐官 ? ヘルマン・ヴィット(統括官)
第II部-B課a- ? 所長:ヘルマン・ヴィット
第II部-B課b- ? 所長:カール・ゲルラント
第II部-B課c- ? 所長:シュット(局長)
第II部-B課d- ? 所長:リンドホルスト(参事官)、RAD連絡担当官 ? シュヌルバイン
第II部-B課e- ? 所長:カール・ゲルラント
第II部-B課f- ? 所長:カール・ゲルラント、ルッツェ
第II部-B課g- ? 所長:不明
第II部-C課 ? 課長:クリスティアン・オプデンホフ(ドイツ語版)(局長)
第II部-D課 ? 課長:クリスティアン・オプデンホフ、トゥルナー(統括官)
第V部(国政問題)
公務本部 ? 本部長:ヴァルター・ゾンマー(ドイツ語版)(最高局長)
部門担当 ? 担当官:ヨハン・ミュラー博士(局長)
官吏問題担当 ? 担当官:ハンス・フォン・ヘルムス(局長)
第III部-C課 ? 課長:ハインリヒ・ハイム(局長)
1939年以降副総統:ルドルフ・ヘス(1933?41)主任副官:アルフレート・ライトゲン(ドイツ語版)(1933?41)副総統幕僚長(1933?41)後に党官房長(1941?45):マルティン・ボルマン
理事長:フリッツ・ヴィーデマン(1934)
ルドルフ・マッケンゼン(1935?38)
人事局長 :クルト=ヴァルター・ハンセン(ドイツ語版)(1937?43)
ハンス・ミュラー(ドイツ語版)(-1945)
副官: パウル・ヴェーゲナー(ドイツ語版)(1935-36)
フリッツ・ダルゲス(ドイツ語版)(1936?39)
第I部『内務担当』:カール・ヴィンクラー(1933?43)
アルフォンス・ツェラー(1943-44)
フリッツ・イェンセン(1945)
第II部『党問題』:ヘルムート・フリードリヒス
第II部A課『基本的組織問題』:アルベルト・ホフマン(ドイツ語版)(1934-40)
ヘルマン・ノイブルク(ドイツ語版)(1940?43)
カイテル(1943?45)
経済、金融、運輸、農政問題
本部局および関連団体との連絡
(1938年以降)
DAFの社会政策
国民突撃隊の政治指導
一般的な苦情と要請
第II部B課:カール・ゲルラント(ドイツ語版)(1934-49)
フリッツ・シュミット(ドイツ語版)(1940-42)
ヴァルター・ティースラー(ドイツ語版)(1940-42代行)
クルト・ヘルムマン(1942)
ヴィルヘルム・リッターブッシュ(ドイツ語版)(1942?43)
アドルフ・マウラー(-1945)
報告 (1940?42まで第II部H課)
プロパガンダ(1940-42まで第II部G課)
文化(1940-42まで第II部K課)
教育
協議(1940?42まで第II部J課)
歓喜力行団
第II部C課(第II部P課):グスタフ・アドルフ・フォン・ヴルフフェン(ドイツ語版)(1934?37)
クリスティアン・オプデンホフ(ドイツ語版)(1937-40)
フリードリヒ・ヘッセルディーク(ドイツ語版)(1940?43)
ハインリヒ・ヴァルケンホルスト(ドイツ語版)(1944?45)
党の人事問題
第II部D課:クリスチャン・オプデンホフ
苦情の処理(1940より第II部A課)
第II部E課
民族問題(第II部A課より異動)
党の活動領域
党の外交政策(1942-45)
第II部W課(当初はF課)
ドイツ国防軍の問題(1940年よりドイツ国防軍連絡事務所から異動):クルト・ゾールバンク(1940?41)
ヘルマン・パッセ(ドイツ語版)(1941-)
ヴィルヘルム・ツァンダー(ドイツ語版)(1945)
第II部F課
常勤党員の指導問題:ヴィリー・ルーダー(ドイツ語版)(1944-45)
第II部M課
党の動員問題(1937-42まではM課として独立):クルト・クノプラオホ(ドイツ語版)(1937-40)
クルト・バイアー(ドイツ語版)(1944-45)
第II部S課
特殊問題(1944-45)
第II部V課
国民突撃隊(1944?45):ハンス・ボフィンガー(ドイツ語版)
第II部N課
通信課(1945):カール・シュミット=レーマー(ドイツ語版)