剣道の韓国起源説を韓国のコムド関係者が主張しており、「剣道の起源は日本ではなく韓国である」とインターネット等で繰り返され主張している。2001年に韓国で結成された世界剣道連盟は、役員にテコンドー関係者が多く、剣道(コムド)をテコンドーにならいオリンピック種目にすることを目指している[14][15]。
全日本剣道連盟は上記主張に対して反論はしていなかったが、公式ウェブサイトで「ある時代の中ででき上がった一つの文化を取り上げて、その起源を論じ、その発祥の地を特定の国だけにはめこむことは、所詮無理なこと」している。『剣道』の定義を「日本で育った歴史的背景をもった剣道を指しています。」としている[1]。
近年の日本では剣道のオリンピック参入の是非とコムド問題が合わせて論じられることもある。国際剣道連盟が国際オリンピック委員会(IOC)傘下のGAISF(一時「スポーツアコード」に改称)に加盟したのは、世界剣道連盟がGAISFに加盟する手続きを取ったため、国際剣道連盟が本当の剣道の国際競技団体であることを公式に認めてもらうために加盟したともいわれている。
略年表
1895年(明治28年)4月17日:大日本武徳会が創立され、剣術を中心に日本武術の振興がなされる。
1895年(明治28年)10月26-28日:第1回武徳祭大演武会が開催され、15名に精錬証を授与。
1902年(明治35年)6月:範士、教士の称号を制定。
1903年(明治36年)5月:7名に第1回の範士号を授与。
1905年(明治38年)10月1日:大日本武徳会が京都に武術教員養成所を開設。
1906年(明治39年):7名の範士によって大日本武徳会剣術形が制定。
1911年(明治44年):武術教員養成所を武術専門学校と改称。中等学校で撃剣を正科として採用可能となった。
1912年(大正元年)10月:25名の剣道家によって大日本帝国剣道形が制定。
1917年(大正6年):大日本武徳会が剣道に段位制を採用。
1919年(大正8年):武術専門学校を武道専門学校と改称。
1924年(大正13年)11月:第1回明治神宮競技大会剣道競技開催。
1926年(大正15年)5月15日:摂政宮台覧の全国府県代表選士優勝試合開催。
1929年(昭和4年)5月4 -5日:御大礼記念天覧武道大会開催。
1930年(昭和5年)5月18日:宮中済寧館台覧武道大会開催。
1930年(昭和5年)12月:第1回全日本中等学校剣道大会開催。
1931年(昭和6年)1月:師範学校、中等学校で剣道が必修科目となる。
1934年(昭和9年)3月:精錬証を廃止し、錬士を制定。
1934年(昭和9年)5月4-5日:皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会開催。
1938年(昭和13年)2月:国民精神総動員剣道大会開催。
1938年(昭和13年)12月:外務省が日独伊親善のため学生武道使節団を派遣。
1940年(昭和15年)6月20日:紀元二千六百年奉祝天覧武道大会開催。
1941年(昭和16年)12月8日:太平洋戦争開戦。
1942年(昭和17年)4月1日:大日本武徳会が厚生省、文部省、陸軍省、海軍省、内務省の外郭団体に改組され、剣道の戦技化が進む。
1943年(昭和18年)3月:段位制を等位制(五等?一等)に、教士を達士に改正。
1945年(昭和20年)8月15日:日本が敗戦し、連合国軍(GHQ)に占領される。
1945年(昭和20年)11月6日:学校における剣道が禁止される。
1945年(昭和20年)12月26日:学校または付属施設における剣道が、学生・一般人を問わず禁止。
1946年(昭和21年)1月:体錬科武道の教員免許状が無効となる。
1946年(昭和21年)2月:大日本武徳会が民間団体となる。
1946年(昭和21年)8月25日:社会体育としての剣道が制限される。
1946年(昭和21年)10月31日:大日本武徳会が解散する。関係者の公職追放1,300余名。
1949年(昭和24年)5月21日:警察における剣道が禁止。
1950年(昭和25年)3月5日:全日本剣道競技連盟結成。剣道の名称が認められず全日本撓競技連盟と改称し、撓競技が誕生する。
1950年(昭和25年)10月:第1回全日本撓競技大会が名古屋市で開催。
1951年(昭和26年)5月4日:第1回全国撓競技大会が東京日比谷公園で開催。
1952年(昭和27年)4月10日:中学校以上の学校で撓競技が正科となる[16]。
1952年(昭和27年)7月:関東学生撓競技連盟結成。間もなく関東学生剣道連盟と改称。
1952年(昭和27年)10月:第7回国民体育大会に撓競技がオープン競技として参加。
1952年(昭和27年)10月14日:全日本剣道連盟(全剣連)発足。
1953年(昭和28年)1月23日:毎日新聞に学校の新学期から撓競技を実施との記事。
1953年(昭和28年)5月4-5日:第1回京都大会、第1回全日本都道府県対抗剣道優勝大会が京都旧武徳殿で開催。
1953年(昭和28年)5月19日:社会体育としての剣道の制限を解除。
1953年(昭和28年)7月7日:高校・大学で剣道を体育に採用することを認可。
1953年(昭和28年)11月6日:第1回全国警察官剣道大会が警視庁体育館で開催。
1953年(昭和28年)11月8日:第1回全日本剣道選手権大会が蔵前国技館で開催。
1953年(昭和28年)12月13日:第1回全日本学生剣道選手権大会が神田国民体育館で開催。
1954年(昭和29年)3月14日:全日本剣道連盟と全日本撓競技連盟が合併し、全日本剣道連盟に統一。
1954年(昭和29年)8月:第9回国民体育大会に剣道がオープン競技として参加。
1954年(昭和29年)11月28日:第1回全日本東西対抗剣道大会が宮崎市で開催。
1955年(昭和30年)3月:全日本剣道連盟の日本体育協会加盟が承認される。
1955年(昭和30年)11月:第10回国民体育大会に剣道が初めて正式種目として参加。
1956年(昭和31年)11月:米国剣道使節団17名が来日。東京日比谷公会堂で日本人と試合。
1957年(昭和32年):全日本剣道連盟が最高段位を十段とする。
1957年(昭和32年)5月20日:剣道と撓競技が整理統合され、学校剣道として中学・高校の正科体育に。
1958年(昭和33年)7月:宮内庁が全日本剣道連盟に天皇盃を下賜。
1958年(昭和33年)9月21日:第1回全日本実業団剣道大会開催。
1961年(昭和36年)5月:全日本学校剣道連盟結成。
1962年(昭和37年)4月:剣道が中学校で必須正科として実施。
1963年(昭和38年)4月:学習指導要領の改正により、剣道が高校で必須正科として実施。
1964年(昭和39年)10月3日:日本武道館開館。