剣道の段級位制
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六級以下または無級は紺色、五級は小浅黄色、四級以上は紫色とされた[8]

大正12年(1923年)4月
武道級位査定内規が定められる[9]。五級上位以下の査定は、警察署長および担当師範立ち会いの上、巡回師範がこれを決定した。四級位の査定は立ち会い武道師範の投票数3分の2以上の者につき、あらためて選考委員(警務部長警務課長監察官および巡回師範)の選考を経て決定した。三級位の査定は、選考委員の査定だけで行われたが、実力、人格、経歴、識見、功績などが審議されたうえ推薦された。

昭和8年(1933年
昭和8年11月訓令甲第100号「武道級位規程」が制定される[10]。五級から一級までの級位が設けられ、面紐の色は無級黒色、五級水色、四級以上紫色とされた。審査は試合(3人以上のリーグ戦)、筆答が実施され、査定委員会(警務部長警務課長消防課長監察官および警務部長の指名する武道師範教師10名(剣道柔道各5名))が審査した。試合および形は審査出席員3名以上の否投票がある場合は不合格とし、筆答は60点未満は不合格とされた。合格者に対しては警視総監名義の証書が授与された。但し五級中以下は証書を省略された。

昭和26年(1951年
昭和26年12月21日訓令甲第46号「警視庁術科技能検定規程」によって段位を採用し、段級位制に改正された[11]。由緒ある級位制を残すべきという意見もあったというが、警視庁だけにしか通用しない級位を温存する必要はない、講道館柔道の段級位制度と均衡を保ちながら世間に分かりやすくするべきとされたという。

級位相当面紐備考
七級紺色空位
六級(上、中、下)紺色空位
五級(上、中、下)切紙小浅黄色
四級(上、中、下)目録紫色
三級(上、下)免許紫色
二級名人紫色
一級紫色空位

大日本武徳会
沿革

明治28年(
1895年
大日本武徳会が創立される。警視庁に倣って七級から一級の級位を設ける。また、精錬証という表彰を設ける。

明治35年(1902年)6月3日
「武術家優遇例」が制定される[12]範士教士の称号が設けられ、精錬証は教士の下位となる。

大正6年(1917年
講道館柔道に倣い段位制を採用し、級位の上に段位を置く。十段まで設けたが、実際は五段までの授与にとどまった。

大正7年(1918年)4月
武術家優遇例は「武道家表彰例」と改称される[12]

昭和9年(1934年)3月1日
精錬証を廃止し、錬士が設けられる。それまで精錬証を受けた者は請求により錬士号を授与される[12]

昭和12年(1937年
六段以上の段位を授与する。

昭和18年(1943年)3月
「大日本武徳会称号等級審査規程」が改正される[13]。段位は廃止され、五等から一等までの等位となり、また教士は達士と改められた。

昭和21年(1946年)10月31日
大日本武徳会が解散する。

段級位備考
七級
六級
五級
四級
三級
二級
一級
初段大正6年(1917年)、段位制を採用
二段
三段
四段
五段
六段昭和12年(1937年)以降、六段以上の段位を授与
七段
八段
九段
十段

称号付与基準受審資格受審条件備考
精錬証明治35年(1902年)まで最高位の称号
昭和9年(1934年)、錬士に改廃
教士品行方正ニシテ
本会ヨリ精錬証ヲ受ケタル者武徳祭大演武会ニ於テ武術ヲ演ジタル者
範士斯道ノ模範トナリ
兼テ本会ノ為メ功労アル者教士ノ称号ヲ
有スル者丁年(満二十歳)ニ達シタル後四十年以上武術ヲ鍛錬シタル者
大正3年(1914年)9月以降、60歳未満に対しても授与)または教士の死亡に対し銓衡の上追贈

等位相当段位備考
五等初段
四等二段
三等三段
二等四段
一等五段
錬士
達士
範士

全日本撓競技連盟
沿革

昭和25年(
1950年
全日本撓競技連盟が創立される。段位制を採用。

昭和29年(1954年
全日本剣道連盟吸収合併
国際剣道連盟

国際剣道連盟の段級位・称号は、全日本剣道連盟に準ずる。
日本剣道協会

日本剣道協会は、段位称号に年限を定めず、10代の少年といえども実力ある者には十段位を授与すると定めている[14]
(現)大日本武徳会

(現)大日本武徳会は、十段位を制定している。
その他

個人道場が独自の段級位を定めていることがある。一例として、乳井義博は昭和24年(1949年)に高野佐三郎修道学院)から剣道十段を授与されている[要出典]。

千葉県知事であった森田健作は、全日本剣道連盟からの段位認定を受けていないという報道[15]に対し、『範士より「二段許す」とされた』と、2009年5月21日の知事定例会見で発言している[16]
脚注
注釈^ 地区や支部によって異なる。支部によっては一級の受審資格を二級合格後、一定の日数が経過してからと規定されている場合もある。また、過去においては一級受審条件として、中学生以上とのことになっていた。
^ 六段は剣道家の中では一番の「鬼門」と称され、五段まで順調に一発合格を重ねてきた者でも、10回以上受けても合格できない場合が多々ある。現在の段位制度での最年少六段合格者は28歳であるが、その年齢で合格できる者はわずかである。一般の受験者からは、「40歳になる前に合格できれば相当な存在」とも言われている。
^ 平成9年(1997年)にNHKのテレビ番組『ドキュメントにっぽん』において、当時の司法試験(合格率約3%)より合格率の低い「日本最難関の試験」として紹介された[4]。平成18年(2006年)11月の審査では合格率0.7%という過去最低を叩き出した。なお、現時点で女性が八段に合格した例はない。

出典^ a b 警視庁武道九十年史28頁
^ a b 剣道を知る事典97頁
^ a b 剣道を知る事典96頁
^ 1997年6月6日放送、「心で闘う120秒 ?剣道・日本最難関試験に挑む?」
^ “全日本剣道連盟|行事予定”. www.kendo.or.jp. 2021年11月15日閲覧。
^ 警視庁武道九十年史20頁
^ 警視庁武道九十年史388頁


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