剛勇のビョルン
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彼らがスカンジナビアに戻った際には、ビョルン・イロンシッドがウプサラとスウェーデンを支配できるように王国を分割した[21]
その他の資料

伝説的なデンマークの年代記サクソ・グラマティクスである『デンマーク人の事績』(1200年頃)は、ビョルン・イロンシッドをスウェーデン王として言及した最初の文献である。サクソによると、ラグナル・ロズブロークは最近のし上がったスウェーデン人の支配者ソルレと争っていた。そこで、ログナルは息子のビョルン、フリドレイフ、ラドバルドを伴ってスウェーデン国土に侵入した。戦闘が始まる前に、相手方も戦いで解決することに合意した。ラグナルと3人の息子達は、両軍の前で名高い王者スタルカドと7人の息子達と相見えた。「ビョルンは自身は傷つくことなくて多くの敵を打ち倒し、鉄のような脇腹の強さから永遠の呼び名(すなわち鉄の脇腹Ironside)を得た」。ラグナルと息子達が8人の敵を倒した後に、その軍勢はソルレとその軍隊に襲いかかり、全滅させた。そして、ラグナルは「ビョルンに、その際立った勇気と奉仕のためにスウェーデンの領有権を送った」。その後、ラグナルの別の息子のウッベ(英語版)は、母方の祖父エスビョルンと結託してラグナルを謀殺した。エスビョルンはスウェーデンのビョルンに使者を送り、反乱の支持を集めようとしたが、ビョルンは耳を貸さなかった。その代わり使者を縛り首にし、一行の残りはスウェーデン人に殺害された。その直後、エスビョルンは海戦で戦死し、ウッベは英雄的な抵抗の末に捕らえられた。やがた、ラグナルはビョルンをノルウェーの摂政に任命し、スウェーデンはもう一人の息子、エリク・ウェザーハット(英語版)に移譲した。ラグナルの死後、ラグナルと兄弟達はイングランドのエラ王(英語版)を攻撃し、打ち倒した。その後、ビョルンはスウェーデンの王国に帰ったが、デンマーク人がラグナルの息子達の支配に反抗して蜂起したので、デンマークに介入した。1700隻の船団を率いて、兄弟とともにシュレスヴィヒで反乱軍を制圧した。これが『デンマーク人の事績』におけるビョルン・イロンシッドについて最後の記述である[22]

13世紀の『ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ』ではエイステイン・ベリ(英語版)は『ラグナル・ロズブロークのサガ』で語られているようにビョルンと兄弟達に殺され、彼らがスウェーデン全土を征服したと伝えている。ラグナルが死ぬと、ビョルン・イロンシッドがスウェーデンを相続した。ビョルンにはレヴィル(英語版)とエリク・ビョルンソン(英語版)がおり、次のスウェーデン王となった[4]。『赤毛のエイリークのサガ』によると、ビョルンにはソルフィン・カルルセフニの祖先となるアスレイク(英語版)と言う名の息子がいた。

アングロ・サクソンとアイルランドの資料によると、865年以降のデンマークのイングランド侵攻はイングヴァル(すなわちイーヴァル)(英語版)、ウッベ(英語版)、ハールヴダンの3兄弟が率いていたとされており、アイルランドの『アイルランドの諸国との戦争(英語版)』から判断するとラグナル(Ragnall、ないしRagnarか似た名前)の息子達だったとされている[23]。ビョルンはこの文脈では言及されないが、後のノルマンの言い伝えでは彼らの兄弟だった可能性が示唆されている[16]。ジュミエージュのギョームによれば、彼はイングランド侵攻に関連してフリースラントで死んだとされている。ウッベは「フリースラントのヤール」と表記されることがあり、侵略者はスカルディンギ(Scaldingi、スヘルデから来た男達)と呼ばれたりもする。ビョルンの王位は古い資料に裏付けられておらず、乗り越えるのが困難な年代的な矛盾を呈しているため、歴史的には問題を有している[24]
フィクションで

テレビドラマ『ヴァイキング ?海の覇者たち?』の主要キャラクターで、少年時代をネイサン・オトゥール(英語版)が、成人してからはアレクサンダー・ルドウィグが演じているが、歴史上の人物を大雑把にもとにしており、アスラウグではなくラゲルタ(英語版)の息子として描かれている。伝承ではビョルンは長男ではないが、ドラマの中ではラグナルの長男となっている[25]

マイケル・グラントの小説『モンスター(英語版)』では、登場人物の一人アーモ(Armo)が「ビョルン・イロンシッド、とても悪いヴァイキング」の子孫であると述べている。
脚注
注釈^ 他の日本語表記として、「甲鉄のビョルン」がヘイウッド & 伊藤・村田訳 (2017), p.153(「甲鉄のビョルン」); p.419(項目索引); etc. にみられる( p.153 の本文中では「甲鉄」に「ヤルンシーザ」のルビが振られている)。また「ビョルン・ヤールンシーズ」が谷口 (2017), p. 260 に、「豪胆者ビョルン」がバーケット & 井上訳 (2019), pp.371, 389; p.471(索引); etc. にみられる。

出典^ Chronicon Fontanellense, Anno 855, 856 Archived 2018-12-03 at the Wayback Machine.; Annales de Saint Bertin, Anno 856, 858
^ Lagerquist 1997:24
^ Carl Bernadotte et al. (1956), Sveriges hundra konungar. Stockholm: Biblioteksbocker, p. 81. This work dates Bjorn's reign in Sweden in c. 785-800 on the assumption that an early Swedish king was mixed up with a later Viking chief.
^ a bThe Saga of King Heidrik the Wise, p. 60
^ Guillaume de Jumieges, Histoire des ducs de Normandie, p. 11-3
^ “Chronicon Fontanellense, Anno 855”. 2018年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月2日閲覧。
^Annales de Saint Bertin, Anno 856, 857
^ “Chronicon Fontanellense, Anno 856”. 2018年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月2日閲覧。
^Annales de Saint Bertin, Anno 858
^ Die Jahrbucher von Fulda, Anno 858 [1], p. 29.
^ Gustav Storm (1877), Historisk Tidskrift II:1, p. 407
^Annales de Saint Bertin, Anno 861
^Annales de Saint Bertin, Anno 862
^Annales de Saint Bertin, Anno 859, 860
^ Gustav Storm (1877), Historisk Tidskrift II:1, p. 420
^ a bKings and kingship in Viking Northumbria, by Rory McTurk (University of Leeds) Archived September 26, 2008, at the Wayback Machine.
^ Guillaume de Jumieges, Histoire des ducs de Normandie, p. 20
^ Gustav Storm (1877), Historisk Tidskrift II:1
^ “ ⇒The Saga of Ragnar Lodrok and his Sons” (2005年). 2021年6月15日閲覧。
^ Peter August Godecke in Sagan om Ragnar Lodbrok och hans soner Norstedts Stockholm 1880 p. 24
^The Tale of Ragnar's Sons
^Saxo Grammaticus, The Danish History, Book IX
^ Alfred P. Smyth (1977), Scandinavian kings in the British Isles. Oxford.
^ Gustav Storm (1877), Historisk Tidskrift II:1. p. 426, 477-8
^ “ ⇒Bjorn Ironside, Ragnar Lothbrok's Son - Mythologian.Net” (英語). mythologian.net. 2017年4月14日閲覧。

参考文献

Lagerquist, Lars O. (1997). Sveriges Regenter, fran forntid till nutid. Norstedts, Stockholm. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}
ISBN 91-1-963882-5


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