中世の資料では、エリク・ビョルンソン(英語版)やハウギのビョルン(英語版)などのビョルン・イロンシッドの息子や孫への言及が見られる[4]。イロンシッドの男系の子孫は1060年ごろまでスウェーデンを支配していたと考えられている。 "ベルノ"
フランク人の資料でのビョルン
ビョルンがヴァルベリーでシャルルと会った後は、同時代の資料には彼の名前は見られない。しかしながら、セーヌ側のヴァイキング戦士はその後数年襲撃を続け、861年には再びパリで略奪を働いている。絶望したシャルル2世は、ソンム地方で活動していた別のヴァイキングの首長、ヴェランドを使って、オイセルでセーヌ川のヴァイキングを攻撃しようとした。しかし、2つのヴァイキングの軍勢が取引して軍を統合したため、この計画は裏目に出てしまった[12]。861年から翌年にかけてセーヌ川下流に野営していたこのノース人達は、再び別れ別れになった。ヴェランドはキリスト教徒になることに同意して王室に仕え、セーヌ川のヴァイキング達は海に出た。彼らの一部はブルターニュの支配者とフランク王国の伯爵達との戦いに参戦した[13]。 いくつものフランク、ノルマン、アラブ、スカンジナビア、アイルランドの資料には、859年から861年にかけてハスタイン
地中海への遠征
ジュミエージュのギョームは、ビョルンを Lotbroci regis filio (ロズブローク王の息子)であるBier Costae ferreae (イロンシッド=剛勇)と呼んでいる[16]。ギョームの地中海遠征に関する記述では、ビョルンの育ての親であるハスタイン(英語版)が中心となっている。2人のヴァイキングはフランスで多くの(ほとんど成功した)襲撃を行った。その後、ハステインはビョルンを新しいローマ皇帝にすることを思い付き、養い子とともに地中海へのヴァイキングの大規模な襲撃を行った。内陸部を進み、当時ローマだと思っていたルーニの町に到着したが、町の壁を破ることができなかった。町に入るために策略が練られた:ハスタインは司教のもとに使者を送り、死の床で改心し、キリスト教の秘跡を受けるとともに、教会内の聖なる場所に埋葬してほしいと伝えた。担架に乗せられた彼は、少数の儀仗兵とともに礼拝堂に運び込まれた後、担架から飛び降りて、狼狽する司教たちを驚かせた。その後、バイキング隊は町の門に向かって進撃し、門はすぐに開かれて残りの軍隊が入ってきた。ルーニがローマではないことを知ったビョルンとハスタインは、この街を調査したいと思ったが、ローマ人が防衛のために十分な準備をしていることを聞いて気が変わった。西ヨーロッパに戻った後、2人は別れた。ビョルンはイギリスの海岸で難破し、かろうじて生き延びた。その後、フリースラント、ギョームによればそこで死んだとのことである[17]。この記述にはいくつかの歴史的な課題がある。ハステインはビョルンよりも後に当時の資料に登場しており、彼の養父となるためには、彼が死んだときには80代くらいになっていたはずである。同時代のヴァイキングのロロやノルウェーのハーラル1世王が同じくらいの寿命だったことを考えれば、不可能というわけではない。また、ルーニはサラセン人によって略奪されたことが知られている[18]。 スカンジナビア王ラグナル・ロズブロークの息子たちであるビョルンとその兄弟の物語は、中世を通して異なるバージョンで何度も語られた。『ラグナルの息子たちの物語
『ラグナル・ロズブロークの伝説』と『ラグナルの息子たちの物語』
このサガでは、ラグナルをスウェーデンの大部分、そしておそらくデンマークの大君主として描いている。ラグナル存命の間、ビョルンと兄弟たちはスウェーデンを離れシェラン島、レイドゴットランド(英語版)(ここではユトランドをさす)、ゴットランド、エーランド島およびその他の小さな島々を征服するべくスウェーデンを離れた。彼らはデンマークのシェラン島にあるライレ(英語版)に定住し、骨無しのイーヴァルを指導者とした。
その後、ラグナルの息子のエリクとアグナルはメーラレン湖に漕ぎ出し、ラグナルに隷属するスウェーデン国王エイステイン(英語版)に、ラグナルの息子たちに服従するよう求めるメッセージを送った。さらに、エリクはエイステインの娘ボーグヒルドを妻として望んだ。エイステインはまずはスウェーデンの首長たちと協議したいと申し出た。首長たちは申し出を拒否し、反抗的な息子たちへの攻撃を命じた。戦いが続き、エリクとアグナルはスウェーデン軍に圧倒されて、アグナルは戦死し、エリクは捕虜となった。
エイステインはエリクにウプサラ・エド(英語版)を望むままに与え、アグナルの命の贖い(英語版)としてボーグヒルドを与えると申し出た。エリクは、このような敗北の後では、自分の死の日を選ぶことしかできないと宣言した。そして、死者の上に立つ槍に突き刺されることを願い、その願いは叶えられた。シェラン島では、タフル(英語版)をしていたビョルン、アスラウグ、ウィトセルクの3人が動揺し、大軍を引き連れてスウェーデンに向けて出航した。