公用語漢語(中国語)
首都姑臧
涼州刺史・西平公・涼王
304年 - 310年張軌
324年 - 346年張駿
363年 - 376年張天錫
変遷
建国301年
前秦によって滅亡376年
前涼(ぜんりょう、?音:Qianliang、301年 - 376年)は、中国の五胡十六国時代に漢族の張軌によって建てられた国。 涼州は前漢時代に武威郡が設置され[1]、後漢時代には馬騰・馬超父子が現れて中央政権から非常に自立性が強い地域であった。またこの州は交通・交易上の要衝で、さらに牧地・農耕地として肥沃な地域であった[1][2]。 前涼の始祖の張軌は、前漢の高祖劉邦の縁戚である趙王張耳の末裔と伝わり(『晋書』張軌伝)、張氏一族は歴代にわたり高級官僚を輩出し、張軌自身も西晋に仕えて尚書郎・散騎常侍・太子舎人などを務めた[3]。その西晋が八王の乱を起こし、特にその乱が激しさを増すと中央にいることの危険を悟り、301年1月に護羌校尉・涼州刺史となって涼州に赴任し、姑臧に駐屯した[3]。当時の涼州は鮮卑の反乱や盗賊が横行し、さらに秦州(現在の甘粛省東部)などから八王の乱のために大量の流民が避難してくるなど、良好な条件を備えているとは言い難かったが、張軌はそれなりの兵力を率いて赴任しており、涼州の反乱を平定して社会の安定に努め、305年には鮮卑の若羅抜能
歴史
建国期