古代エジプトでは入れ墨の習慣があったが、サブサハラのアフリカでは入れ墨の確たる証拠は見つかっていない。しかし、いくつかの部族では入れ墨よりも直接的な皮膚を傷つけて模様を描くスカリフィケーション(瘢痕文身)が行われている[12]。オーストラリアのアボリジニの文化からも、確たる入れ墨の証拠は見つかっていないが、スカリフィケーションの慣習はある。他にも、ネグリト、メラネシア人、インディオなどの肌の色の濃い民族の間で見られる。
このようにユーラシア大陸、アフリカ大陸北部、南北アメリカ大陸および太平洋諸島の部族社会では入れ墨文化が盛んだが、啓蒙思想を持った大文明の影響で法律や刑罰の概念が到達すると犯罪者やアウトローのものとなり、近代になり大衆文化が発達するとファッションとして復活するという大きな流れが見られる。 入れ墨は容易に消えない特性を持ち、古代から現代に至るまで身分・所属などを示す個体識別の手段として用いられてきた。アウシュヴィッツ強制収容所で入れ墨されていた収容者番号 有名な例では、ナチの親衛隊員が戦闘中に負傷した際に優先的に輸血を受けられるよう、左の腋下に血液型を入れ墨(SS blood group tattoo
目的
個体識別
人間以外の家畜やペットに対しても、個体認識のために入れ墨や焼印が行われてきた歴史がある。
江戸時代の日本を含めた多くの国の刑務所で、犯罪者を識別するための犯罪者用入れ墨(英語版)、入墨刑が広く用いられた[13]。(ユーゴ内戦時の各収容所において入れ墨による識別が行われていたことが知られている。ヒューマンブランディング(英語版)、ロシアでの犯罪者識別用入れ墨(英語版)、ティアドロップ・タトゥー(英語版))
またこうした強制的なケースばかりではなく、多くの文化では、出漁中に事故に遭う可能性のある漁師や船員などが、身元判定や安全祈願として船乗りの入れ墨(英語版)を行うケース[14](類似に木場の川並が好んで入れていた「深川彫」など)や、首を取られてしまえば、身元不明の死体として野晒しになる恐れのあった日本の戦国時代の雑兵が、自らの氏名などを指に入れ墨したケースなども知られている。
刑務所内で自分で制作するプリズン・タトゥー(英語版)などもあり、どのギャングかや出自、犯罪内容の誇示や暗号など、様々な目的で制作される。 罪を犯した者に対して顔や腕などに入れ墨を施す行為は、古代から中国に存在した五刑[15]のひとつである、墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。 墨刑は額に文字を刻んで墨をすり込むもので、五刑の中では最も軽いものだった。前漢の将軍・英布(黥布)は若い頃に顔に罰として入れ墨を施されたことから、逆に自ら黥を名乗ったと伝えられている。 『日本書紀』中にも、履中天皇元年四月に住吉仲皇子の反乱に加担した阿曇連浜子に、『即日黥』(その日に罰として黥面をさせた)との記述[16]がある。この記述は海人の安曇部の入れ墨の風習を、中国の刑罰と結びつけて説いた起源説話とされている。阿曇連は漁民でもある海部(あまべ)を統括する氏族であり、河内飼部は馬の飼育にかかわる河内馬飼部(うまかいべ)のことで、また鳥の飼育をするのが鳥養部(鳥飼部)である。これらは生き物を飼う職能集団であるという共通性がみられる。飼育している生き物からの危害を避け威嚇する意味も含めて、こうした呪術的意味を含み黥面をしていたと推側する研究者もいる。このことから、こうした記述は入れ墨の風習が廃れ、刑罰として用いられるようになってからの部分改変である可能性が指摘されている[17]。 また『日本書紀』雄略天皇10年10月には宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたため、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)としたとの記述[18]がある。 江戸時代には、左腕の上腕部を一周する1本ないし2本の線(単色)の入れ墨を施す刑罰が科せられた。施される入れ墨の模様は地域によって異なり、額に入れ墨をして、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあった。 米国における入れ墨は、1960年代末に世界的に流行したヒッピー文化に取り入れられ成長したため、その図案や表示するメッセージなどにおいて両者は不可分の関係にあり、ドラッグ・カルチャーとの関連から、ヒッピー達が好んだヒンドゥー教やチベット仏教に由来する梵字[19]やオカルト的な図案が多く好まれていた。 江戸時代では、博徒・火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業は、入れ墨は粋であり入れ墨がない方が恥であった。また、遊女の顧客が遊女への思いを入れた「入黒子」などの文化もある[20]。 日本では、ヒッピー文化の影響を受けた両親を持つ団塊ジュニア世代以降の第2世代ヒッピーが、ファッションとしての意味合いで入れ墨を施すことが流行した。こうした「入れ墨のファッション化」と日本国内のサブカルチャーの影響により、アニメのキャラクターやアイドルなどを入れ墨する事例も現れている[21][22]。入れ墨といえば前述の反社会性ばかりが取沙汰された時代があったが、歌手の安室奈美恵が自らの亡き母親や息子の名前を入れ墨にしている事例からも解るように、一部の人たちは「愛する対象との同一化」や「憧れの対象との同一化」を図るための、自己表現の為の装飾道具に変化しつつあると主張している。 ナチスのシンボル等のタトゥーを入れる者もおり、アメリカではユダヤ人医師に不快感を与えたり[23]、ドイツでは地方議員が起訴されるなど、社会問題になっている[24]。 女性の眉や唇などに針の深度を浅くしたアートメイク・タトゥー 主に性的サービス業に従事する女性が、男性の性的興奮を高める性的装飾として入れ墨を施す文化が各国に存在しており、女性器の周辺を装飾している場合も多い。東南アジアの一部の国においては、適齢期に婚期を逃した独身女性が眉部に太幅の眉毛の形状(ちょうど日本のバブル期に流行した眉毛の形である)に入れ墨を施すことで、特定の男性に限定されずに幅広く恋愛を行う意思(=夜這いへの誘い)を示すサインとする習俗がある。 日本の暴力団や中華系の幇など、反社会的組織の構成員の多くが入れ墨を入れている。欧米においても、ロシアのマフィアや米国の白人至上主義団体が入れ墨を構成員の象徴として用いている。日本の暴力団関係者が入れ墨をする理由としては、社会からの離脱と帰属組織への忠誠を表し、痛みに耐えて消えない刻印を背負うことによる覚悟、また「彫り物をしている」と流布することで周囲を威圧するなどが挙げられる。その図案は日本の伝統的な題材を描いたいわゆる「和彫り」が主流である[注釈 3]。特定の犯罪組織への帰属を示す入れ墨の存在により、当該犯罪組織からの離脱が困難になる場合があるため、米国においては自発的な犯罪組織脱退者に対して入れ墨除去手術の費用を公的に負担する場合がある。反社会的な組織に限らず、近代国家においても国家への帰属意識・忠誠の確認として入れ墨を入れた例がある。朝鮮戦争において中華人民共和国が義勇軍の名目で参戦した時、実際にはその名に反して多くの者が国民党軍から寝返ったばかりの兵士であり、人海戦術の使い捨ての駒とされた。そのため少なからぬ数の兵士が自ら国連軍に投降し、そうでなくても捕虜となった義勇軍兵士たちは、中華人民共和国への帰参を望まなかった。中国義勇軍の捕虜たちの3分の2を占める1万4000人が大陸ではなく、台湾への渡航を希望した。台湾への渡航を希望する者は、自らの意思で、あるいは半ば強制されて、国民党への忠誠・反共を表す文言を入れ墨として入れた。
刑罰
ファッション
美容用途ヘナを用いて手に文様を描く印僑女性: シンガポール
性的装飾
組織帰属の証
医療関係入れ墨による色調再建(左乳輪)
乳頭・乳輪の再建
形成外科領域では、乳頭・乳輪の再建のために入れ墨の技術を用いることがある。「乳房再建#乳頭・乳輪の再建」も参照