刺史
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刺史の職掌の低下は、刺史をはじめとする地方官を軽視する風潮を生み出し、代には中央官僚の貶官(左遷)先として刺史もしくは上佐[2]への任命が行われ、地方政治の悪化の一因になった(唐では貶官による地方官任命は正官をもって行われ、左遷による国司以下の地方官任命が権官員外官で行われた日本とは事情が異なる[3])。

武徳元年(618年)、唐の高祖は郡を廃して州を復活させ、刺史と雍州牧を置いた。しかし天宝元年(742年)に再び州は郡となった。粛宗の時代に再び州は復活した。

五代十国時代には刺史が兵を握って自立することもあったが、北宋では知州が州の長官となり、刺史は名称のみを残されて実態は消滅した。
脚注[脚注の使い方]^ 大辞泉より「刺史」 (アーカイブ版)
^ 別駕・長史・司馬など地方長官を補佐する上級地方官のこと。
^ 辻正博「唐代貶官考」(初出:『東方学報』京都第63冊(京都大学人文科学研究所、1991年)/所収:辻『唐宋時代刑罰制度の変遷』(京都大学学術出版会、2010年))


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