武徳元年(618年)、唐の高祖は郡を廃して州を復活させ、刺史と雍州牧を置いた。しかし天宝元年(742年)に再び州は郡となった。粛宗の時代に再び州は復活した。
五代十国時代には刺史が兵を握って自立することもあったが、北宋では知州が州の長官となり、刺史は名称のみを残されて実態は消滅した。
脚注[脚注の使い方]^ 大辞泉より「刺史」 (アーカイブ版)
^ 別駕・長史・司馬など地方長官を補佐する上級地方官のこと。
^ 辻正博「唐代貶官考」(初出:『東方学報』京都第63冊(京都大学人文科学研究所、1991年)/所収:辻『唐宋時代刑罰制度の変遷』(京都大学学術出版会、2010年))