利用者‐会話:Clausewitz_von
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イケメン大王氏による『山田雅稔』記事の棄損について

記事を書く際重要なのは、記事の体裁よりも、記事の内容、データ・情報量、および他の編集者に対する敬意である。イケメン大王氏による、ほしいままの記事の大量の変更、データの損壊は、遺憾である[2][3]。情況をよく知る有志によってこれまで育て上げられて来た、この『山田雅稔』記事は、イケメン大王氏によって1日で棄損された。同氏には、山田師範や大西靖人氏および大山倍達館長など書かれている人々に対する尊敬の気持ちも、他の編集者に対する敬意もないようである。自戒されよ。--Clausewitz von 2009年9月18日 (金) 12:21 (UTC)[返信]
『閣議』記事の編集について

貴方は、当該記事の編集概要で『上奏や裁可は戦前の明治憲法の時代の行為、戦後の日本国憲法下ではありえない』と言われるが、如何なる趣旨か明らかにされたい。いわゆる明治憲法に規定する上奏や裁可について記載したつもりはないが、日本国憲法下において『上奏』或いは『裁可』があり得ぬと主張されるなら、論拠を提示願う。--鳶飛衆(会話) 2013年7月4日 (木) 20:14 (UTC)[返信]
「ユンカー」の編集について

はじめまして。「ユンカー」の記事の加筆ありがとうございました。しかし加筆に際しては出典を示して頂けると助かります(Wikipedia:出典を明記する参照)。特にユンカーが「準貴族」であるという出典はあるのでしょうか。出典の方、よろしくお願いいたします。--Omaemona1982会話) 2014年7月6日 (日) 14:57 (UTC)[返信]リンクを付けておきました。ご確認ください[4]。通常は爵位はvonの前についているので、爵位のあるなしを見て貴族か、準貴族のユンカーか識別が可能です。19世紀初頭のナポレオン戦争中にプロイセン王国で「シュタインの改革」を継ぎ「ハルデンベルクの改革」をおこなったカール・アウグスト・フォン・ハルデンベルクKarl August Furst von Hardenbergは爵位であるFurst侯爵を持つ貴族。ナポレオン戦争などを題材とした「戦争論」の著者であったCarl von Clausewitzクラウゼヴィッツは貴族として扱われますが、正確には爵位を持たない準貴族のユンカーです。彼の正式な名前はCarl Philipp Gottlieb von Clauswitz。この中にあるGottlieb(神の愛という意味)は爵位ではないからです。--Clausewitz von(会話) 2014年7月10日 (木) 14:54 (UTC)[返信]ご回答ありがとうございました。早速なのですが、ユンカーの記事に付けて頂いた2つの出典ですが、一つはwikipediaと同じ誰でも編集可能なWikiで構築されたサイトのようです。またもう一つの辞書はwikipediaの記事を出典にしたものであり、いずれもWikipedia:信頼できる情報源に照らし、出典となりえません(「ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。」「掲示板やニュースグループ、Wikiで構築されたサイトへの投稿、あるいはブログ上の記述は、一次資料としても二次資料としても使用されてはなりません。このことにはいくつかの理由があります。まず、私達にはそれらの記述や投稿を誰が書いたり投稿したりしたのかを知る術がありません。また、それらには編集者による監視や第三者による事実確認が欠けています。加えて、Wikiで構築されたサイトの記事は刻一刻と変化していることがあり得ます。」とあるのをご確認ください)。Wikipedia:信頼できる情報源にあります通り、wikipedia上で「信頼できる情報源」とされるのは学者によって学術的な出版社から出版された二次資料です。二次資料の出典を付けて頂けますよう、あらためてお願い申し上げます。--Omaemona1982会話) 2014年7月11日 (金) 09:41 (UTC)[返信]
ナポレオン3世の称号について

Clausewitz vonさん、こんばんは。Ashtrayと申します。記事 "ナポレオン3世" におけるこの編集の件で参りました。「フランス共和国第二帝政の皇帝」って何ですか?。ジョークなら他でやってください。真面目にやっているならば、出典を以て記してください。そもそも私の記憶が確かならば、彼の称号は、伯父のナポレオン1世と同じ "empereur des Francais"(フランス人の皇帝)だったと思いますが。--Ashtray (talk) 2016年1月16日 (土) 13:33 (UTC)[返信]


ジョークだとあせらずにお互いに勉強しましょう。お答えします。後掲のフランス語条文はウィキソースにあります。

  ・叔父のナポレオン一世については次のとおり。憲法修正に相当した『1804年5月18日元老院Senat決議』“Senatus-consulte organique du 28 floreal an XII 18 mai   1804”(決議とあるが内容はフランス共和国第1帝政憲法Constitution du 18 mai 1804)

  「第1条 フランス人の皇帝という称号titreを持つひとりの皇帝へ、フランス共和国の統治は委任されるLe Gouvernement de la Republique(共和国) est confie a un   Empereur, qui prend le titre d'Empereur des Francais.(フランス革命後国家主権者となっていたフランス共和国国民は主権をフランス共和国皇帝へ委任する意味)

   第2条 フランス共和国の現在の(終身)第1統領であるナポレオン・ボナパルトが、フランス人の皇帝となる Napoleon Bonaparte, Premier consul actuel de la   Republique(共和国), est Empereur des Francais.(ナポレオン・ボナパルト終身第1統領がフランス共和国の皇帝に即位するという意味)

   第142条 国民投票の規定。

   その後その第142条によってフランス共和国国民有権者による国民投票が、1804年11月おこなわれ過半数の可決によって承認された。

   1804年12月皇帝ナポレオン1世の戴冠式(即位式)がおこなわれた。

   皇帝ナポレオン1世の称号titreはフランス人の皇帝、意味はフランス共和国第一帝政の皇帝です。

   ・ナポレオン三世については次のとおり。『1852年12月2日の皇帝の勅令』“Decret imperial du 2 decembre 1852"。

  「第1条 11月21日と22日の国民投票によって『1852年11月7日の元老院決議』は承認ratifie parされた。Le Senatus-consulte du 7 novembre 1852, ratifie par le    plebiscite des 21 et 22 novembre, est promulgue et devient loi de l'Etat.

   第2条 ルイ・ボナパルトはフランス人の皇帝となりナポレオン3世の称号を持つ。Louis Napoleon Bonaparte est Empereur des Francais sous le nom de

   NapoleonIII.

  (国民投票による承認を根拠にルイ・ボナパルトは自分で勅令を発し1852年12月2日フランス共和国皇帝ナポレオン3世に即位)。

   皇帝ナポレオン三世の称号sous le nom de はフランス人の皇帝、意味はフランス共和国第二帝政の皇帝です。

なおナポレオン一世やナポレオン三世が皇帝へ即位したとは言っても、その帝位は国家主権者が皇帝であった神聖ローマ帝国皇帝やロシア皇帝の帝位とは全く別です。フランス革命後、国家主権者はフランス革命の勝利者だったフランス共和国国民となっていた。ナポレオン一世やナポレオン三世の皇帝即位は、その国家主権者のフランス国民有権者による、憲法を根拠とした国民投票によって承認され皇帝へ国民の国家主権が委任されたという形式です。--Clausewitz von(会話) 2016年1月16日 (土) 18:59 (UTC)[返信] こんにちは。"ノート:ナポレオン3世" に私のコメントも含めてコピペされていますね[5]。議論は同ノートで行いたいとの意思表示でしょうか?。それとも、このまま貴方の会話ページで続けてよろしいのでしょうか?--Ashtray (talk) 2016年1月17日 (日) 03:20 (UTC)[返信]

議論は"ノート:ナポレオン3世" でお願いします。--Clausewitz von(会話) 2016年1月17日 (日) 04:16 (UTC)[返信]了解しました。続きは、記事ノートにて。


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