そして、1894年、前年の朝鮮の甲午農民戦争をきっかけに、日清戦争がおこる。日本が勝利し、講和条約として下関条約が結ばれた。その後、三国干渉が勧告され、日本は清に遼東半島を返還した。しかし、遼東半島はロシアに租借される… 1904年、義和団事件後にロシアが軍を清に停留させたことにより日露戦争がおこり、どちらも苦戦したのでアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介もあってポーツマス条約が結ばれて戦争は終わった。そして、韓国統監府が置かれたが、初代統監の伊藤博文が安重根に暗殺されたことをきっかけに、1910年に日本は韓国併合を行った。韓国…1914年には第一次世界大戦がおこってしまう。三国同盟と三国協商の戦いだ。日本はこれで大戦景気になった。これまたアメリカが参戦すると停滞していた戦争が動きましたよね。イタリア動きましたよね。そして最終的にはベルサイユ条約が結ばれたのだ。 そんな第一次世界大戦のさなか、ロシア帝国には大きな動きがあったことをご存知。その動きこそが、紛れもなく、僕の胸に、あー、みんなで言おうよ、またまたまたまた会えたらいーいなー、それがロシア革命。皇帝の専制政治はよろしくないよろしくない運動であるデモにより、皇帝は強制的にやめされられた。これが二月革命。その後、レーニンを指導者として、初の社会主義政府が誕生したんだったと思う。これが十月革命だったと思うその後、ついについには初の社会主義の国家であるソビエト社会主義共和国連邦*通称ソ連が誕生。ちなみにロシア革命を抑えようと、日本などの国はシベリア出兵をしたのだが、革命を抑えることはついについにはできなかったのだったのだった。ちなみにシベリア出兵の影響で米の売りしぶり
20世紀
ちなみにこの頃、ついに国際連盟が登場。しかしアメリカやソビエト社会主義共和国連邦などの国が加入しなかったため、あまり力を持たなかった…
一方日本の韓国併合に対して韓国側は五四運動をおこし、対抗。しかし朝鮮総督府が鎮圧した。さらに三一独立運動もあった。インドではガンディーが非暴力で抗議。塩の行進などを行う。ガンディーとともにネルーも抗議した。
そして日本は大正時代に。この頃日本は未だに制限選挙であり、藩閥もしばしばあったため批判されていた。そして第3次桂内閣が成立すると、藩閥政府への批判の声が頂点に達し、第一次護憲運動が発生して、第三次桂内閣は2ヶ月ほどで辞めさせられた。この時代、民衆が政治に興味をもち、大正デモクラシーの風潮になる。平民宰相と呼ばれた原敬は普通選挙を認めず暗殺されたが、その後ついに加藤高明内閣によって普通選挙法が制定されたが、同時に共産主義を取り締まる治安維持法も制定される。
大正時代の三大洋食は カレーライス コロッケ とんかつ[18]
その後、昭和時代に入り、1929年10月に世界恐慌が起きてしまう。アメリカはルーズベルト大統領のニューディール政策で経済を回復、イギリスはブロック経済を行った。ちなみにソ連は社会主義国で独自の政策(五カ年計画)をしていたので世界恐慌の影響を受けなかった[19]。
そして世界恐慌の影響により、イタリアではムッソリーニが、ドイツではヒトラーが指導者となりファシズムの一党独裁政治が行われる。
日本では戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌に続いて世界恐慌に襲われて昭和恐慌が発生。これを打破しようと満州への本格的な進出を図り、張作霖爆殺事件を関東軍が起こし、中国国民党の蒋介石のせいにしようとするも張学良にばれ、逆に満州への影響力は低下。
首相の濱口雄幸はロンドン海軍軍縮会議に参加しロンドン海軍軍縮条約を締結するも、天皇の統帥権を干犯していると海軍に反対され、ついには濱口雄幸遭難事件が発生してしまう。