初期キリスト教
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^ 福田歓一は過渡期の思想家であるとしつつも、キリスト教政治思想・国家論を初めて体系的に理論づけた人物であるとして高く評価している[72]。福田は西洋における歴史哲学の成立もアウグスティヌスに帰しているが、岡崎勝世もキリスト教思想・神学・歴史学におけるアウグスティヌスの役割を非常に重く見ている。金子晴勇は文献を引用しつつ、アウグスティヌスは西ヨーロッパを古代文化とは異なった中世文化へと方向付けたとし、西ヨーロッパの「新生」に貢献した人物であると述べている。
^ アウグスティヌスの自由意志の解釈を巡っては相反する2つの立場がある。一方はアウグスティヌスは予定説に立つ恩寵先行論に基づいて自由意志を否定的あるいは限定的に論じたとする立場。他方は救いにおける個人の自由意志を積極的に認めたとする立場である。
前者に基づく解釈はプロテスタンティズム神学で述べられることが多い。A・E・マクグラスはアウグスティヌスの自由意志論を次のように2段階に分けて整理する。
自然的な人間の自由は肯定される。人間が物事を為すのは自由意志による。

人間の自由意志は罪によって破壊も排除もされていないが、罪によってゆがめられているために、その回復には神の恵みが必要不可欠である。
アウグスティヌスによれば、人間の自由意志はいわば悪の分銅によって傾けられた天秤のようなもので、悪へと向かう深刻な偏りが存するのである[73][74]。宮谷宣史『アウグスティヌス』はアウグスティヌスの自由意志論にパウロの影響を認めつつ、以下のように整理する。
生きとし生ける者は誰でも、キリストの恩恵なしには罪の裁きを免れることは出来ない。

神の恩恵は、人間的な功績によって与えられることはない。

恩恵は全ての人に与えられるわけではない。

恩恵は神の一方的な憐れみにより与えられる。

恩恵が与えられないのは神の裁きによる。

善であれ悪であれ、自分の行為に対しては報いがある。

主への信仰は人間の自由意志による。
アウグスティヌスは罪を「無知」あるいは「無力」として捉え、人間には自由意志があっても善悪を判断する知識あるいは能力がないために、救いの根拠は「人間の」自由意志ではなく、「神の」自由な選びと予定である[75]。クラウス・リーゼンフーバーによれば、アウグスティヌスにおいて、自由とは歴史を形成する能力であるが、原罪を孕んだ結果、人間の自由は悪へと傾斜することとなり、中立的な自由を失った。しかし神の恩寵により自由な「神の国」において、人間は自らの自由を取り戻すことが出来るが、その段階においても意志の弱さは残る。その時人間が神への愛に貫かれて生きるなら、つまり愛への意志によって恩寵により完成されるならば、もはや罪を犯すことのない自由を得ることが出来る。そして個人はこの救いの過程を通して、歴史の進展に寄与するのである[76]。「アウグスティヌスは、人間本性はアダム以来継受される原罪によって損なわれ、それゆえ神と掟の遵守へと向かうためには、先行する無償の恩寵が必要であると考え」(クラウス・リーゼンフーバー『中世における理性と霊性』p.38)たのであるという。ほかに福田歓一『政治学史』も、アウグスティヌスはペラギウスと自由意志を巡る論争で、自由意志を認めつつも、人間性は「無知」と「無力」のゆえに自由意志によって救いに至ることができないと述べたとして、同じ立場に立つ。金子晴勇『宗教改革の精神』では、アウグスティヌスは自由意志を否定したのではなく、その価値を認めて自由意志を許容したが、人間はその原罪のゆえに自由意志を制限されており、信仰なくしては救いに至ることができないのであると説いたのだといい、これも前者に近い。前者のような理解のもとにアウグスティヌスを発展させて明確に自由意志を否定したのがルターである。
後者の立場としては南原繁『政治理論史』・半沢孝麿『ヨーロッパ思想史における<政治>の位相』があり、アウグスティヌスは予定説によって、世界を神による永遠不易の秩序内にあるとしたが、それは人間の自由意志による救いを少しも否定しないというものである。アウグスティヌスは神は人間を本性上自由意志を持つ者として創造したのであるから、人間の救いは自由意志に基づくものでなければならないと考えたとする。エラスムスも後者の立場である。アウグスティヌスの墓
パヴィアのサン・ピエトロ・イン・チェル・ドオロゥ教会 (en:San Pietro in Ciel d'Oro) にある。アウグスティヌスの遺体は8世紀サルディニア島からここへ移された
^ 同様に、南原繁も『政治理論史』のなかで、アウグスティヌスは「神と人間のあいだの道徳的人格関係」 (p.92) を明らかにしたと述べている。
^ アウグスティヌスにあっては、絶対的で永遠なる「神の国」が歴史的に超越しているのに対して、「地の国」とその政治秩序はあくまで時間的で、非本質的な限定的なものに過ぎない。したがって政治秩序は相対化されるのであるが、アウグスティヌスがいわゆるニヒリズムや政治的相対主義に陥らないのは、政治秩序の彼岸に絶対的な神の摂理が存在し、現実世界に共通善を実現するための視座がそこに存在するからである。だからこそ基本的に「神の国」とは異質な「地の国」の混入した「現実の」教会は、それでもなお魂の救済を司る霊的権威として、「地の国」において「神の国」を代表するのである。ここに倫理目標の実現の担い手が国家から教会へ、政治から宗教へと移行する過程を見ることができ、古典古代の政治思想との断絶が生じたのであった。[78]
あるいはJ・B・モラルによれば、アウグスティヌスの考えでは異教国家に真の正義はない。『神の国』の中で、キリスト教に基づく政治社会だけが正義を十分に実現できる国家であるとアウグスティヌスは考えており、事実彼は非キリスト教的な政治社会には「国家」 (Respublica) の名称を与えてはいない。古典古代の思想家に比べて、アウグスティヌスの考える国家は卑しい存在であり、それは堕落した人間の支配欲に基づく。その存在理由はあくまで神の摂理への奉仕で、それはカトリック教会への従属によって得られるのである。[79]
^ 「そこで彼らが、『主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります』と言うと、イエスは、『それでよい』と言われた。」[80]
^ ただしゲラシウス1世は一方で教権が帝権の上位にあることを論じているから、俗権と教権は完全に並列的であると考えられていたわけではない。彼によれば、「政治的支配をする」王は「権力」 (potestas) を持つのに対し、教皇は権威 (auctoritas) を持っているのだが、後者こそが完全な主権なのである。[81]
^ ゲラシウスの定義は多くのことを主張しているのではなく、むしろ曖昧すぎる故に問題となった。その定義は俗権と教権の間に明確な境界線が引かれるべきことを述べているが、それがどこに引かれるべきか明らかにしていないのである。したがって、ゲラシウスの教説は教皇側を支持する側からも皇帝側を支持する側からも、その論拠として用いられたのである[82]
^ レオ3世ラテラノ大聖堂に取り付けさせたモザイク画では、ペトロが教皇にパリウムを、皇帝にを与えている。ペトロは最初のローマ司教(のちのローマ教皇)となりローマで殉教したとされる使徒である。『シュヴァーベンシュピーゲル』のなかには次のような記述がある。"主は両剣をペトロに委ねた。ゆえにその後継者である教皇が自ら教会の剣を行使し、皇帝に世俗の剣を与える。"

出典^ 松本 2009, pp. 31-32.
^ ウィルケン 2016, p= 21
^ 松本 2009, pp. 18-19
^ a b ウィルケン 2016, pp. 22-23
^ エティエンヌ・トロクメ 2004.
^ ウィルケン 2016, p. 28
^ 松本 2009, p. 20
^ a b c 福田歓一 1985, p. 83.
^ 福田歓一 1985, pp. 83?84.

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