列車愛称
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」とされ、1.読み易く発音し易い事、2.文字にして書き易く短くて簡単な事、3.覚え易く他の愛称と紛らわしくない事の三点に留意する事としていた。ただし、新幹線では日本の代表的な名称・交通の王者を象徴する斬新な物を、特別急行列車ではないしは自然現象に由来するもの、夜行列車寝台列車では天体に依拠するもの、急行列車では運転区間に関係する有名な山・川・海・地名・史跡や地方の特色ある自然現象が用いられ、おおむね東京から見て下り方向の目的地に関連した物があてがわれる事例が多かった。この点については、下記も参照されたい。

列車の新設に際して一般公募で名称を募集する事例があるが、この場合必ずしも得票数が1位の候補が採用されるわけではない。たとえば、「北斗星」の公募第1位は「北海」であったとされる。東海道新幹線の列車愛称も「ひかり」は1位であったが、「こだま」は10位であった。東北新幹線開通以前に常磐線を経由して上野と青森を結んでいた特急に使用されていた「みちのく」は、同新幹線開業及びその延伸前に何度か行われた愛称公募で常に得票数第1位になっているが、2016年現在使用されていない。

なお、一般公募で高い応募数を得ながら採用されない愛称として「いなづま」という名前がある。東海道本線特急に使われていた「ひびき」は東海道新幹線の第三の愛称候補に挙げられることもあったが、後に騒音振動問題が取りざたされるようになってからは沙汰やみとなった。

はやて」も「はやて(疾風)」が農作物に被害をもたらす疫病の異名でもあるためといわれこの例に近かったが、2002年東北新幹線八戸延伸に際して東京駅 - 八戸駅間直通列車の名称で使用されることとなった。

また、著名の場所・物であるにもかかわらず、語呂・語感が悪いなどの理由で採用されなかった愛称も存在するといわれる。

出典:「日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた」(阿川弘之/作家)
列車愛称の重複・復活

逆に由来によっては複数の地域で用いられる事例もある。たとえば、「くろしお」は紀勢本線特急列車の愛称として固定する以前はこちらを見れば判るように四国房総半島・紀勢本線の3箇所で用いられたとされる。

しかし、後述するが1968年実施の国鉄ダイヤ改正により、座席指定席管理システムであるマルスシステムの拡充の障害となることから、こういった事例は解消された。ただし、指定席を連結しない列車においては重複が存在した。例えば「あさぎり」が御殿場線直通小田急連絡急行日田彦山線急行列車とで長らく使用されていたほか、「ホームライナー」がJR北海道JR九州で同時に運転されていた。

また、「しおかぜ」や「いそかぜ」の様に当初は海水浴臨時列車として使用され、定期列車の初例として山陽本線特急列車から前者は予讃(本)線特急列車→瀬戸大橋線直通予讃線エル特急、後者は山陰対九州連絡特急列車となった事例もある。

この他、公募による列車愛称選定の結果として全く運行路線区にゆかりがないものの、著名であった列車名が復活する形になる場合もある。例としては「白鳥」が津軽海峡線直通特急列車の愛称となったほか、九州方面の寝台特急列車で使用されていた「はやぶさ」が東北新幹線の最速達列車の愛称として復活した。
非公式の愛称

列車に付けられる愛称の中には鉄道事業者が公式に定めたものではなく、利用者や鉄道ファンの間で非公式に付けられたものが定着したものもある。例えば、東海道本線東京駅 - 大垣駅間で運行されていた夜行列車「ムーンライトながら」は、以前は特に愛称がつけられておらず“大垣夜行”と呼ばれていた。国鉄では指定席車両を連結したもの以外で定期の普通列車・快速列車に愛称を付けることはまれであったため、利用者が列車を指す際に便宜上用いたものが根付いたとされる。同じように紀勢本線のそれは“太公望列車・新宮夜行”、中央本線のそれは“山男列車・山岳夜行・上諏訪夜行[注 1]”などと呼ばれていた。

また国鉄本社が正式に認めた愛称のほかに支局が独自に愛称を付けたものの当局側で認められなかったため、改称を余儀なくされた例もある。たとえば、広島鉄道管理局では東京駅 - 広島駅間を運行する急行列車に一時“ひばり”の愛称を公募で付けていたが、前述のように鳥類の愛称は特急列車に付けるのが原則となっていたため後に「安芸」と改称させられた。

近い例として、大阪鉄道管理局が東京駅 - 大阪駅間を運行する夜行急行列車のうち1往復に「流星」の愛称を与えたが、これは後に「彗星」が正式な名称となっている。ただし列車番号による解釈の相違により意見が異なり、同時に大阪鉄道管理局が与えた「明星」がこれにあたるともされている。
貨物列車の愛称

列車愛称は主に旅客列車に対して付けられるが、貨物列車にも存在する。

貨物列車に列車愛称が付与された最初の例は1959年 (昭和34年) 11月に運転を開始したコンテナ貨物列車「たから」である。「たから」の愛称は顧客(流通事業者)への鉄道貨物輸送のイメージアップのために採用され、最後尾の車掌車には電照式のテールマークが取り付けられた。その後、コンテナ取扱列車の運転拡大に伴い「西たから」(梅田駅 - 吉塚駅間)や「ほっかい」(隅田川駅 - 東札幌駅間)、「こがね」(隅田川駅 - 万代駅間)等の愛称が登場[注 2] 、更に鮮魚貨物列車として「とびうお」(幡生駅 - 東京市場駅間)、「ぎんりん」(博多港駅 - 大阪市場駅間)等も登場した。

その後、コンテナ取扱列車の増加や鮮魚貨物列車の全廃などがあり、貨物列車への愛称付与は途絶えていたが、1982年11月15日国鉄ダイヤ改正に伴い、事業者向けへの営業上の観点から高速貨物・拠点間直行貨物列車に愛称付与を再開する事となり、事業者から列車愛称を公募した。この時「たから」「こがね」等が復活した他、かつて特急・急行の愛称だった「いしかり」、旧国名・地名由来の「仙台」、地方色を反映した「しゃちほこ」などが登場した。

日本における沿革

日本における列車愛称は、戦前1929年(昭和4年)9月に鉄道省が公募の結果に基き、東京駅 - 下関駅間を運行する特急列車2往復にそれぞれ「富士(ふじ)」・「櫻(さくら)」という愛称を与えたことが始まりとされる。戦中は一時中断したが、国鉄においては戦後1949年(昭和24年)に特急・急行・準急それぞれで「へいわ」・「銀河」・「いでゆ」といった列車愛称を復活させ、その後国鉄・私鉄ともに日本全国へ広まっていった。
戦前期における展開

1929年(昭和4年)9月:昭和金融恐慌など関東大震災以来の不況が続き、利用客が減少していた鉄道に活況をもたらそうと、鉄道省は当時欧米で広まっていた「列車愛称」を日本の列車にもつけて親しみを持ってもらおうと考えた。その結果、当時日本で東京駅 - 下関駅間の2往復(1・2列車と3・4列車)しか存在せず、文字どおり「特別」な存在であった「特別急行列車」(特急列車)に、一般公募によって愛称をつけることになった。

公募には19,902票がよせられ、1位の「富士(ふじ)」が1,007票、2位の「燕(つばめ)」が882票、3位の「櫻(さくら)」が834票の順であった(以後10位まで、「旭(あさひ)」、「隼(はやぶさ)」、「鳩(はと)」、「大和(やまと)」、「鴎(かもめ)」、「千鳥(ちどり)」、「疾風(はやて)」と続く)。そして一等車二等車のみで編成され、当時「日本一の豪華列車」であった1・2列車に1位の「富士(ふじ)」、三等車のみで編成され、どちらかといえば「大衆向け」と言うべき3・4列車に3位の「櫻(さくら)」の愛称を与えた。なお2位の「燕(つばめ)」は、翌1930年(昭和5年)10月に運行を開始し、「超特急」とよばれる程の高速運転を行ったことで有名となった特急列車の名称に採用された。


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